兄と比べられて劣等感ばかりが募る。父親から何も言われなくなった時、見限られたと思った
両親のどちらも厳しかった思い出ばかりを語る良美さん。家族関係はどうだったのでしょうか。
「決していいものではありませんでした。でも、母親は兄のことが本当に好きで、兄がいればそれなりに食卓に会話はありましたし、父親は寡黙な感じだったんですが、勉強以外のことで口を出してくることはなかったからテストの時以外は普通でした。家族旅行などにも、夏休みなど大型連休の度に連れて行ってくれていましたし、家族で年越しを旅行先で過ごしたこともあります。でも、旅行に行く度にその思い出を作文にして父親に提出しなければいけない義務もあって……。それが嫌で嫌で、旅行を純粋に楽しめませんでした。旅行中にもこの場所での出来事を書かなければと、常に頭によぎってしまっていましたから」
家が裕福だったのか、兄妹2人とも多くの習い事をさせられていたと言います。
「ピアノ、水泳、習字、塾、そろばん、英会話などですかね。兄も同じような感じでした。でも、同じ年齢の時から習い事を始めさせられても、すべてにおいて成績がいいのは兄のほうでした。水泳ではスクール内のレースでもらえるメダルの数が違ったし、そろばんや暗算の検定でも持っている級は違いました。兄妹ともに高校受験の時に塾以外の習い事をすべてやめて受験勉強に絞ったのですが、そんな時も『同じ金額をかけてこの違い』と皮肉を父親から言われたことを覚えています」
高校も優秀な兄とは同じところには進学できなかったそう。しかしそこから、父親から何も言われなくなります。
「勉強に関して、最後に父親から言われたのは、塾の先生の言葉を代弁されたことでした。私の塾では学校みたいに親との二者面談があったのですが、そこで『今から頑張ってもこの学校がギリギリ』と言われたとわざわざ伝えてこられました。そして、その事実は的確で、私は塾の先生が言っていたところしか行けなくて。一応進学校ではあったんですが、父親の期待を大きく裏切るものだったんだと思います。そこからパタッと父親は私に何も言ってこなくなりました。見限られたんだんです」
“認められたい”という思いは親から仕事へ。しかし、認められなかった自分をうまく表現することができなくなり……。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。