両親と姉の言い合う声が響くリビング。いつしか家族団らんはなくなっていった
見ていたと語る理由は、母親との約束を破るのは侑里さんではなく、姉だったから。あまりに母親の言うことを聞かない場合は、父親が参戦してくることもあったとか。
「私は遅くなる場合は朝ちゃんと母親に伝えて了承をもらっていたから、そこまでその決まりでは怒られることはありませんでした。でも、姉は度々約束を破っていて。玄関で聞こえる母の怒声や、ビンタのパンッという音にビクビクしていましたよ(苦笑)。私から見ても、姉が悪いのは一目瞭然。何をそこまで言い返しているのかわかりませんでした。
姉があまりに言うことを聞かないと、そのまま玄関でずっと待機させられて、その後父親から再度叱られるんです。玄関近くにトイレがあったんですが、その中に割り込む勇気がなくて、必死で尿意を我慢したこともありますよ」
親とぶつかる姉と、うまく立ち回る妹。そんな2人の姉妹仲はどうだったのでしょうか。
「悪いことはなかったですよ。2人でどこかに遊びに行くとかはあまりなかったけど、小学生の頃は同じピアノ教室と、習字を習っていて、一緒に行っていました。それに姉が中学生くらいの時に部屋が分かれたんですが、それまでは一緒の部屋でタンスも2人で1つだったので、よくお互いの服を勝手に着ていました。
いつ部屋がわかれたのか、何かのきっかけがあったのかはまったく覚えていないんですけど、部屋が分かれてからは、タンスも別々になって、服も別々になりました。姉が私の部屋に来ていた記憶は残っていませんが、私が姉の部屋で寛いでいたことは少し覚えているかな。姉が高校生になった時ぐらいからはまったくケンカもしなくなっていました」
姉が高校生の時からは反抗期に入ったのか、母親との仲が徐々に険悪になっていったそう。その余波を受けるかたちで侑里さんは家族の空気を読めない姉にイライラしていったそう。
「そのぐらいの頃から姉と母親の仲が悪くなっていったんですよ。何が原因かは知らないけど、お互い無視みたいな時もあって。一番しんどかったのは、両親も姉もバトル後はピリピリが続き、少しでも私の気に入らない箇所があると、怒りに任せて暴言を吐いてくるところ。いつもならそこまで怒らないものや、過去のことを蒸し返され、当たられていた状態です。それが面倒で、私も家族団らんの場所を避けるようになっていきました」
大学進学を機に一人暮らしをしたい姉と、実家から通わせたい両親のバトルが勃発。大学受験を諦めた姉は住み込みで働ける場所を見つけ、家を出て行くことに。その後不仲は続くも、両親と姉の和解のきっかけは侑里さんの妊娠でした。【~その2~に続きます。】
取材・文/ふじのあやこ
情報誌・スポーツ誌の出版社2社を経て、フリーのライター・編集者・ウェブデザイナーとなる。趣味はスポーツ観戦で、野球、アイスホッケー観戦などで全国を行脚している。