取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。(~その1~はコチラ)
今回お話を伺ったのは、都内でネイリストとして働いている侑里さん(仮名・38歳)。千葉県出身で、両親と3歳上に姉のいる4人家族。侑里さんの家では毎朝の決まり事があり、その決まりを何度も破る姉と両親とのバトルをずっと間近で見続けていたとか。
「決まり事は、毎朝その日の予定を報告し合うこと。友人と遊びに行くとかもその時に伝えます。少し帰るのが遅くなるくらいでは母親は怒りません。ちゃんと言えばいいのに、姉はなぜか言わずに約束を度々破っていた。小さい頃は姉が怒られるだけだったけど、高校生くらいになると本格的な言い合いに発展して、とても家族間がピリピリしていました。両親も姉も一度沸点が上がるとなかなか下がらなくて、思い出したみたいに私まで過去のことで怒られることもしばしば。それが本当に理不尽で、私もイライラすることが多くなっていきました……」
大学受験の時に起こった両親と姉のバトルで関係は修復不可能に……
さらに姉の大学受験の時にも両親とのバトルが勃発。地方の私大に行きたい姉と、家から通えるところに行ってほしいという両親の言い合いは最後まで平行線だったようで。
「私もそこまで勉強ができるタイプではなかったけど、姉はさらに悪くて教科によってはクラス最下位レベルの点数を取ってくることもあるらしく、母親が頭を抱えていました。それに私たち姉妹は揃って勉強が大嫌い。大学に行きたいというよりも、家を出て4年間遊びたいという風にしか見えませんでした。
案の定、両親と姉の話し合いはいつまで経っても平行線のまま。最後には姉がキレて、受験さえしなかったんです。姉は就職先を決めてきて、そのまま卒業後に家を出て行ってしまいました」
ケンカ別れとなってしまった両親と姉。最初の頃は平気ないつも通りの態度を貫いていた両親だったものの、時折見せる寂しそうな姿に侑里さんは気を遣い続けたそう。
「姉は住み込みで働けるところを探してきて、そのまま出て行ってしまって。それっきり、私とも連絡を取っていませんでした。当時は携帯が出る少し前くらいで、パソコンのアドレスも何も知らなかったし。
両親は最初こそ、不思議なくらい普段通りだったんですが、時間が経つにつれて、少し寂しそうでした。姉が居なくなった部屋をいつまでもそのままにしていたり、お箸とお茶碗のセットがずっと食器棚の手前にあったり。私は姉の分までといったらおかしいかも知れませんが、良い子を頑張りました。高校卒業後には専門学校に行かせてもらったんですが、もちろん家から通いましたし、母の日や父の日、両親の誕生日にはできる限り一緒に過ごすようにしていました。それは、働くようになってもでした」
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