文/池上信次

第9回ジャズ・スタンダード必聴名曲(5)「ワルツ・フォー・デビイ」

これまでこの連載では、ポップスが「持ち歌で勝負」とすれば、「ジャズはまずアドリブありき」が基本であると説明してきましたが、「持ち歌」で勝負しているジャズマンももちろんいます。アドリブの技に加えて、自身だけの「持ち歌」があれば、さらに強く個性を印象付けられるわけですから。言い換えれば、楽曲を(も)重視する姿勢ということになりますが、モダン・ジャズの時代にそれを率先して示した代表格のひとりがピアニストのビル・エヴァンス(1929〜80)です。今回はエヴァンスが作曲し、自身の看板的名曲である「ワルツ・フォー・デビイ」を紹介します。

タイトルになっている「デビイ」は、作曲当時2歳の姪の名前。ビルの兄ハリーの娘です。ビルはデビイを溺愛していたと伝えられています。その初演は、1957年に録音されたエヴァンスのファースト・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』(1)に収録されました。このアルバムには全部で11曲が収録され、うちオリジナルは4曲。そのなかの3曲は「リズム・チェンジ」と呼ばれるジャズの定番進行やブルースなど、明らかにアドリブに重きを置いた楽曲で、メロディを聴かせるオリジナル曲といえるのは「ワルツ・フォー・デビイ」(以下「デビイ」)だけ。エヴァンスはその後もスタンダードはつねに演奏していますので、「オリジナル曲で勝負」という姿勢をことさら打ち出しているわけではありません。しかし、これに限らずエヴァンスのオリジナル曲が強い印象を残している理由は、緻密に考えられたアレンジと、だからこそ一度限りにせず何度もくり返し演奏・録音しているところにあります。

ジャズにも名曲はある

この「デビイ」の初演は無伴奏ソロ・ピアノで演奏されました。わずか1分20秒のメロディだけの演奏で、アドリブはなし。アルバムの中でも目立っているものではありません。しかしエヴァンスはこの曲を1回の録音では終わらせませんでした。1961年録音の、その名も『ワルツ・フォー・デビイ』(2)では、「デビイ」の決定的な演奏を残します。革新的ベース奏者のスコット・ラファロとファースト・アルバムからの共演ドラマー、ポール・モチアンとのトリオによるこのライヴ録音では、エヴァンスは印象的な愛らしいメロディに、寄り添ったり絡んだりする(アドリブではない、曲の一部分としての)ベース・ラインを付加しました。メロディとこのアレンジは不可分といえるほど完成度の高い、じつに美しい「曲」に練り上げたのです。もうこのテーマ部分だけで、エヴァンスそしてこのトリオとしての個性は明確で、ポップスでいえば「持ち歌」が完成しています。(前回、「ジャズに名曲なし」と紹介しましたが、)ジャズにも名曲はあるのです。

しかしそこはジャズマン、エヴァンス。それだけではすませません。さらにアドリブでも勝負します。最初のテーマのあとブリッジ(つなぎパート)を挟んで、もう一度テーマを弾くのですが、それは4拍子なのです。そしてアドリブはそのまま続け、最後のテーマも4拍子のままです。テーマはメロディを聴かせる3拍子で、アドリブはノリのよい4拍子で、ということなのですね。さらりと聴くと、あまりにも自然に流れていくのでこの変化を気にとめる方は少ないかもしれませんが、この仕掛けはなかなか凝ったもの。私自身も「ワルツ・フォー・デビイ」なのに途中からは「ワルツ」じゃないぞ、と気がついたのは何度も聴いたあとでした。美しいメロディとアレンジに加えてトリッキーな仕掛けまで施し、さらにアドリブまで、どこを切ってもエヴァンスの個性が溢れ出ています。

その後もエヴァンスは何度もこの曲を録音しました。しかもほぼ全部がピアノ・トリオ編成で、基本のアレンジは1961年ヴァージョンを踏襲しています。その積み重ねから、「デビイ」はエヴァンスとは不可分の強いイメージが形作られました。ですから、ジャズでは有数の有名曲ではありますが、スタンダードといえるほど多くのジャズマンには取り上げられていません。とりわけピアノ・トリオ編成での演奏は、「カヴァー」にしかなり得ないというくらいの、エヴァンスの「持ち歌」なのです。

一方、その「呪縛」がないヴォーカリストたちは、その美しいメロディを愛し、多くの演奏を残しました。早い時期では1963年にモニカ・ゼタールンドが「モニカのワルツ」のタイトルで取り上げ(3)、トニー・ベネットが64年、リタ・ライスが65年に、サラ・ヴォーンは66年に歌っています。もっとも有名なのはモニカと、ベネットの75年再演ヴァージョンですが、いずれも伴奏はエヴァンスによるものです。ヴォーカルというまるで違うアプローチであっても、やはり「デビイ」とエヴァンスの結びつきは強固なものがあるのですね。

そういった訳で、エヴァンスの死後には取り上げるピアノ・トリオも増え、スタンダード的にも認識されましたが、その多くは「トリビュート」的な演奏であることからも、「デビイ」とエヴァンスの個性の結びつきはいまだ大きな存在感をもっていることがうかがえます。

ちなみに、エヴァンスのオリジナル曲には「デビイ」のほかにも人名がついたタイトルの曲が多数あります。「For Nenette」は妻のネネット、「Maxine」はネネットの連れ子、「Letter to Evan」は息子、「Laurie」は深い関係のガールフレンド、マネジャーの「One for Helen」といった人名そのもののタイトルのほか、「NYC’s No Lark」と「Re: Person I Knew」はピアニストのソニー・クラーク(Sonny Clark)、プロデューサーのオリン・キープニューズ(Orrin Keepnews)それぞれのアナグラムだったりと、ほかにもまだまだいくつもあるのです。すべてインスト曲ですので、タイトルは曲のイメージに大きく影響してくるのですが、あえて人名、それもごく身近な人に限っているのはなぜでしょうか。それは、これらの楽曲は自分だけのもの、つまり自分の「持ち歌」であることを強調、主張したい気持ちから。もっというと、他の人には演奏させたくないという意識の表われだと思うのですが、どうでしょうか。

「ワルツ・フォー・デビイ」名演収録アルバムと聴きどころ

(1)ビル・エヴァンス『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』(リヴァーサイド)
ビル・エヴァンス『ニュー・ジャズ・コンセプションズ』(リヴァーサイド)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)
録音:1956年9月18日

「デビイ」の初演ヴァージョン。アルバムのほかの曲はトリオで演奏されていますが、この曲だけはピアノのソロで演奏されています。短い演奏ですがきっちりとアレンジされており、アドリブがないからこそ、メロディが際立って印象づけられます。エヴァンスの「作曲家宣言」として、あえてこの形で入れたと考えるのがよさそうですね。

(2)ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』(リヴァーサイド)
ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビイ』(リヴァーサイド)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)
録音:1961年6月25日

「デビイ」は、テーマでのピアノのメロディと対位的なベースのアンサンブルが特徴のひとつ。このアレンジは、「ピアノに積極的に絡む」革新的なスタイルが持ち味のスコット・ラファロとの共演でなければ完成しなかった、と思わせるほどの完璧なコンビネーションが聴きどころ。これ以降、このテーマと4拍子へ移行するアレンジがエヴァンス生涯の定番スタイルとなりました。

(3)モニカ・ゼタールンド『ワルツ・フォー・デビイ』(フィリップス)
(3)モニカ・ゼタールンド『ワルツ・フォー・デビイ』(フィリップス)
演奏:モニカ・ゼタールンド(ヴォーカル)、ビル・エヴァンス(ピアノ)、チャック・イスラエスズ(ベース)、ラリー・バンカー(ドラムス)
録音:1964年8月29日

モニカは、伝記的映画(『ストックホルムでワルツを』2014年)が作られるほど人気のスウェーデンのジャズ・ヴォーカリスト。エヴァンス・トリオを従えて、その看板曲を歌うという大胆な試みでしたが、スウェーデン語で歌うということでモニカは見事に曲に負けることなく個性を発揮させました。ちなみに映画にもエヴァンスとの共演シーンが登場します。

(4)クロノス・カルテット『ミュージック・オブ・ビル・エヴァンス』(ランドマーク)
(4)クロノス・カルテット『ミュージック・オブ・ビル・エヴァンス』(ランドマーク)
演奏:クロノス・カルテット[デヴィッド・ハリントン、ジョン・シェーバ(ヴァイオリン)、ハンク・ダット(ヴィオラ)、ジョーン・ジャンルナード(チェロ)]、エディ・ゴメス(ベース)
録音:1985年秋

クロノス・カルテットは現代音楽の弦楽四重奏団。ここではエヴァンスの1961年の「デビイ」を、ソロまでも弦楽アンサンブルでなぞっていきます。そのまま弦楽四重奏曲として成り立ってしまうほどのテーマ・アレンジの完成度、そしてソロもじつによく構築されたものであることが改めて感じられることでしょう。エヴァンス・トリオに11年在籍したゴメスの参加がさらにエヴァンス色を濃くしています。

(5)『ジョン・マクラフリン・プレイズ・ビル・エヴァンス』(ヴァーヴ)
(5)『ジョン・マクラフリン・プレイズ・ビル・エヴァンス』(ヴァーヴ)
演奏:ジョン・マクラフリン(ギター)、エイグェッタ・カルテット[フランソワ・スゾーニ、パスカル・ラバッティ、アレグザンドル・デル・ファ、フィリップ・ロリ(ギター)]、ヤン・マレッツ(ベース・ギター)
録音:1993年

エイグェッタ・カルテットはクラシック・ギターの四重奏団。そこにさらに2本のギターが加わり、テーマではエヴァンス・トリオの定番アレンジをギター・アンサンブルで聴かせます。アドリブ・パートではマクラフリンが縦横無尽にバリバリ弾きまくっていますが、それはテーマの引き立て役のよう。美しいメロディにはただただ感嘆するばかり。

※本稿では『 』はアルバム・タイトル、そのあとに続く( )はレーベルを示します。ジャケット写真は一部のみ掲載しています。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。近年携わった雑誌・書籍は、『後藤雅洋監修/隔週刊CDつきマガジン「ジャズ100年」シリーズ』(小学館)、『村井康司著/あなたの聴き方を変えるジャズ史』、『小川隆夫著/ジャズ超名盤研究2』(ともにシンコーミュージックエンタテイメント)、『チャーリー・パーカー〜モダン・ジャズの創造主』(河出書房新社ムック)など。

 

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