文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「人間が権力にしがみつく、と言うのは、ありゃウソだよ。それは逆で、権力のほうから人間に取りついてくるんだ。だから、人間のほうがよほど邪険に権力を振り払わんと、どこまでもつきまとわれる」
--太田垣士郎

実業家の太田垣士郎のことばである。内橋克人著『退き際の研究』より。太田垣は、権力というものの魔力を、それと間近に向き合った体験者として語っている。なるほど、そういうものかもしれない、と思わせる説得力がある。

太田垣士郎は、明治27年(1894)兵庫県生まれ。子供の頃はヤンチャな暴れん坊。誤って呑み込んだ割り鋲(びょう)が気管支にとどまり、病身となった。過労になると血を吐くなどして悩まされたが、18歳の頃、偶然に割り鋲が体外へ出たという。

京大経済学部卒業後、日本信託銀行に入行。その後、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に転じ、名経営者・小林一三の薫陶を受け、昭和21年(1946)同社社長に就任した。小林は、「事業というものは計画性を持って、世間の人がおよそ信用する、いわゆる公共的に、そして公明正大のものでなければならない」という理想を持っていた。太田垣もこれを叩き込まれたのだった。

小林の教えを胸に刻み、太田垣が電力業界へ入ったのは昭和26年(1951)。電力再編、九電力分割のスタートに当たり関西電力社長を引き受けたのである。

翌年には世界銀行からの借款で多奈川(たながわ)火力発電所を建設するなどの実績を挙げた太田垣は、昭和31年(1956)、黒部川第四発電所(いわゆるクロヨン)の建設に着手する。総工費500 億円余り、167 人もの犠牲者を出す難事業だったが、7年後に完成にこぎつけた。この間、太田垣は文字通り「血の小便」を流しながら仕事に取り組んだという。

その後、同会長となる一方で、関西経済連合会会長、電気事業連合会会長、近畿圏整備審議会会長などをつとめた。「オレは関西から離れんぞ。大阪で骨を埋めるんだ」と語り、国鉄総裁就任の要請も断って、終生、関西のために働いた。酒と禅を好み、つねに心の充実を心がけた。

そんな太田垣は、ある日、医師から、脳血栓となるかもしれない徴候があることを告げられた。その翌日から、太田垣は躊躇なく順々に公職をしりぞいていった。それは見事な引き際だった。

太田垣は公私の区別にも厳しく、自らの係累を、関西電力やその関連会社にひとりも入社させなかったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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