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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「民衆の幸せを考えないようでは政治家でも実業家でもない」
--松永安左エ門

実業家の松永安左エ門は、明治8年(1875)長崎県の壱岐の島に生まれた。15歳で上京し、福沢諭吉の慶応義塾に学ぶが、父の死後、いったん帰郷して家業の酒造業をついだ。だが、飽き足らず、家督を弟に譲って慶応義塾に復学。日本銀行員、石炭商を経て電力事業に進出した。

自身が育て上げた東邦電力は、満州事変後の経済統制下で国策会社に吸収されたが、戦後、政官財の反対を押し切り、GHQをも向こうに回し、電力事業の民営・分割を推進した。「電力の鬼」の異名をとった所以である。

この頃の松永は、こんなことばを唱えていた。

「どんな大きな岩でも、渾身の力をふるってハンマーをあくことなく打ちこんで行けば、岩は必ず割ることが出来る」

これは信念ともいうべきものだったろうが、もうひとつ松永が肝にすえていたのが掲出のことば。福島の原発事故後の処々にあらわれた、被災者の気持ちに寄り添うこともせぬこの国の政治家や事業者の傲慢や怠慢を見たら、この人なら何と言うだろうか。

東邦電力時代の松永は、社員たちに「今日の仕事は明日に伸ばすな、明日は明日でする仕事がある」と訓示を垂れる一方で、「人間は休養が必要であり、休みの時は家族全体で楽しむのが一番だ」と語り、当時としては珍しく社員に2週間の夏季休暇を必ずとるように促していた。思えば松永は、茶人としても名高く耳庵の号を有していた。

80代半ばを過ぎても精力的に活動。愛妻・一子夫人に先立たれても壮健。健康法を問われると、こう答えた。

「朝ハオ茶、昼ハガナリテ、夜ハ酒、婆ア死ンデモ、何ノ不自由」

些か乱暴な「婆ア」という言い方は、夫人への愛情の裏返しであったのだろう。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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