文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「日本の子供のためには僕は一流の文学者が進んで執筆しなければ嘘だと思う」
--鈴木三重吉
鈴木三重吉は、若い時分は大の子供嫌いだった。夏目漱石の門弟となって漱石のもとに出入りしていた頃の、こんな逸話が残っている。
漱石門下の古参である野村伝四の結婚が決まったあと、その御祝いの内宴を開こうということで、ある日、漱石夫妻や門弟たちが漱石山房に集った。茶の間の囲炉裏を囲んで、みなが車座になって祝いの酒と料理に舌鼓を打ちながら談笑した。夏目家の子供たちにも何やら嬉しい気持ちが伝わったのか、大人たちの周りでわいわいと遊んでいた。一杯機嫌の鈴木三重吉は、これをひどくやかましがって、こう悪態をついた。
「子供なんか、こんな時にはみんな箪笥の抽斗(ひきだし)に入れて錠をおろしておけばいい」
また、『吾輩は猫である』のモデルとなった夏目家の猫の何回忌かで皆で鳥鍋を囲んでいたときにも、傍らで子供たちが騒いでいるのが気に入らず、三重吉は鏡子夫人にこんな台詞を投げつけた。
「ああ、愉快だ。しかし、子供達が、こううるさくては、かなわんですなあ。奥さん、こういう時には、いっそ子供達を風呂敷に包んで押し入れにつめ込んでおくと良いですなあ」
これを耳にした長女の筆子は腹が立って、「鈴木さんの馬鹿! 大嫌い!」と反撃し子供部屋に閉じ籠もってしまったという。
そんな鈴木三重吉が、自分の子供が生まれると一転して子煩悩になった。わが子に読ませるに適した、子供向けの優れた文学作品が少ないことに気がつき、自ら児童文芸雑誌『赤い鳥』を創刊するに至った。
掲出のような考え方を打ち出し、芥川龍之介や島崎藤村、泉鏡花、徳田秋声、小宮豊隆、小山内薫、小島政二郎といった錚々たる執筆陣に童話を書かせた。なかでも、芥川の『蜘蛛の糸』や『杜子春』は、現在も読み継がれる不朽の名作と言っていい。
三重吉は、北原白秋や西条八十といった詩人たちに多くの童謡を書かせてもいる。白秋が『赤い鳥』に発表した童謡は、『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など 300篇以上にのぼった。
もうひとつ、『赤い鳥』の特色として、全国の児童からの作文投稿を募集して選評とともに掲載する「綴方」運動を展開したことが上げられる。作文指導を通じて、文章表現力を高め、ひいては人間的成長を促す狙いもあったのだろう。あるときには、雪山で道に迷った男の子が村人総出で救助された体験を綴った作文を取り上げ、三重吉はこんなふうに書いた。
「みんなの人によつて君の命が救はれたことを一生忘れてはなりません。そのことを考へるたびに、君はなほなほ正しい人になつて生き何かの仕方で、社会に対して役立ちをしなければならないといふ、大きな責任を感ずるだらうと思ひます」
『赤い鳥』の創刊は大正7年(1918)だから、漱石はすでにこの世の人でない。鏡子や筆子は、子供嫌いだった鈴木三重吉のこの豹変ぶりを、面白がって眺めていた。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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