文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「当時は一般の人々は時計を持たなかったし、また時間の厳守ということもなかったのである。二時に招かれたとしても、一時に行くこともあり、三時になることもあり、もっとおそく出かける場合もよくある」
--アーネスト・サトウ

アーネスト・サトウは、幕末から明治にかけて日本に滞在したイギリスの外交官。すぐれた日本学者でもあり、日本の言語や文化にかかわる多くの著作も残している。

掲出のことばは、維新前後の日本滞在時の体験や見聞を綴った回想録『一外交官の見た明治維新』(坂田精一訳)の中に書かれた一節。今でこそ、時間に几帳面な印象のある日本人と日本社会だが、当時はかなりルーズで、ある意味、大らかだったことがわかる。

アーネスト・サトウは、1843年(天保14年)ロンドンの生まれ。少年時代から成績優秀で、わずか16歳でロンドンのユニバーシティ・カレッジの入学試験に合格した。しかも、2年間で所定の課程を終了してしまう。両親はこの息子を、さらにケンブリッジ大で学ばせようと考えていた。

ところが、一冊の本との出会いがアーネストの運命を変えてしまう。ある日、彼の兄が図書館から日本のことを書いたロマンチックな香りのする本を借りてきた。ローレンス・オリファントの手になる絵草紙ふうの書物で、そこには「その国では、空がいつも青く、太陽が絶え間なくかがやいている」などと書かれていた。

これを読んだアーネストは、たちまち「お伽の国・日本」への空想にとりつかれてしまう。ロンドンの冬は長く暗いし、加えて当時は産業革命の副作用で大気汚染がひどく街がくすんでいる。絶え間なく輝く太陽と青い空に、惹きつけられるのも無理のないところだった。のみならず、その本には、「バラ色の唇と黒い瞳の、しとやかな乙女たちにかしずかれることだけが男の勤めである」といった記述さえ読めたのである。青年の心が、ときめくまいことか。

18歳のアーネストは外務省の通訳生の募集に応じて、試験に合格。本人の希望通り、日本駐在を命じられた。横浜港に到着したのは、1862年9月8日(文久2年8月14日)だった。

その6日後、生麦事件が起こる。武蔵国橘樹郡生麦村(現・横浜市鶴見区生麦)付近で、薩摩藩主の父で藩政の最高指導者である島津久光の行列に騎馬のまま乱入したイギリス人商人らが、薩摩藩士によって殺傷されたのだ。

このあと、英国戦艦と薩摩藩が鹿児島湾で砲火を交える薩英戦争、四国連合艦隊と長州藩の間に繰り広げられた下関戦争なども勃発。尊皇攘夷や倒幕運動がいよいよ熱を帯び、外国勢力も複雑にからみながら時代は明治維新へと突き進んでいくのである。

アーネスト・サトウはこの間、通訳官から書記官となり、オールコック公使やパークス公使の秘書として活躍。明治維新の達成を見届けて1869年2月24日(明治2年1月14日)、いったんイギリスへ帰国する。目まぐるしく揺れ動いた日本における、6年半ほどの滞在であった。

その後も、アーネストは二度にわたって来日、書記官や公使として働いた。結局、トータルでは25年もの歳月を日本で過ごしている。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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