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「功業は百歳の後に価値が定まる」(夏目漱石)【漱石と明治人のことば349】

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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「功業は百歳の後に価値が定まる」
--夏目漱石

夏目漱石が明治39年(1906)10月21日の深夜に、門下生の森田草平あてに書き綴った書簡からのことばである。

森田はこの直前、漱石に苦衷を打ち明ける手紙を書いている。その手紙を余人に見られることを憚って、漱石は読んだあと破り捨ててしまったため中身は詳らかでないが、おそらくは、自分は父の子ではないかも知れぬ、母親の不義密通の結果として生まれたのではないか、という出自への疑念を明かしたものだったろう。

漱石は返書にまず、こう書く。

「あの手紙を見たものは手紙の宛名にかいてある夏目金之助だけである。君の目的は達せられて目的以外の事は決して起る気遣いはない」

そうやって、手紙は自分以外の者の目にふれることはないと安心させた上で、

「余の知る人のうちに二三君と同様の境遇の人あり。否境遇の人なりときく。されど彼等は皆相応に成功の人なり。君も相応に成功の緒を得ばこの不幸を忘るることを得んか」

と心を寄せ、さらにこう綴っていく。

「男子堂々たり。這般(しゃはん)のこと、豈(あに)君が風月の天地を懊悩するに足らんや。君の生涯はこれからである。功業は百歳の後に価値が定まる。百年の後、誰かこの一事を以て君が煩とする者ぞ。君もし大業をなさば、この一事、却って君がために一光彩を反照し来たらん。ただ眼前に汲々(きゅきゅう)たるが故に進む能(あた)わず」

この一文、やや難解なので、かみ砕けば--。

男子たる者、堂々として進んでいけばいい。こうしたことは、これから文芸の道で身を立てていこうとする君の思い悩むべきことではない。真の仕事の価値は歴史の検証をくぐらねばならず、それこそ百年後に価値が定まるものだ。その百年後、誰が君の出自を問題にしようか。君がもし大業を成し遂げれば、将来は、そうした悩みも却って君の生涯にひとつの色彩を添えるものにさえなり得るかもしれない。あまり目の前のことにばかり汲々としていては、いい仕事はできないよ。

と、そんな意味合いである。この手紙を受け取った森田は、どれほど励まされたことだろう。

漱石自身、眼前の毀誉褒貶にとらわれることなく、100 年後を意識していた。高浜虚子への手紙の中には、こんなふうに書いたこともあった。

「僕は十年計画で敵を斃(たお)すつもりだったが、近来これほど短気なことはないと思って、百年計画にあらためました。百年計画なら大丈夫、誰が出て来ても負けません」

現代社会では、大企業でさえ、ともすると目先の利益や効率ばかりを追い求め、データ改竄などの不正を行なう。漱石先生の訓戒を、胸に刻まねばならない。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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