文/一乗谷かおり
奈良の春日大社に、猫好きがほっこりさせられる宝物があります。国宝に指定されている『金地螺鈿毛抜形太刀』(きんじらでんけぬきがたたち)です。
昭和5年に行われた第五十六次の「式年造替」(しきねんぞうたい。20年に一度、4棟の御本殿などの修繕・新調を行う祭礼)の時に御本殿第二殿から撤下されたもので、およそ900年前の平安時代に、当時の技術の粋を集めて制作・奉納された太刀です。
昨年行われた第六十次となる式年造替では、この太刀が新調され、新たな御神宝として、神様が還御された神殿内に納められました。
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さて、この国宝の太刀のどこが猫好き必見かといいますと、鞘に施された螺鈿の装飾です。竹林に群がる雀を猫が狙う構図が、事細かに螺鈿で表現されているのです。
漆地に金粉を蒔き詰めた鞘に、夜光貝を切り抜いてはめ込んだ螺鈿細工で描かれた猫と雀。薄い貝の表面に毛彫りを施すことで、猫の毛を細かく描写。高貴な人の飼い猫がモデルだったのでしょうか。首には発色の違う別の貝をはめ込んで首輪を描いています。
猫の黒斑模様は青ガラスを、猫の目の白目に貝を使い、黒目にはガラス玉を使用。眼尻にもガラスがはめ込まれ、猫の瞳の微妙な光加減をも再現しています。そのこだわり具合には執念すら感じられます。
国宝『金地螺鈿毛抜形太刀』は、こうした細部の螺鈿細工の技巧から、日本の螺鈿表現の最高傑作と謳われる名品中の名品なのです。
そもそも、竹林などで猫が雀を追うモチーフは、中国の北宋時代頃からよく描かれるようになり、日本にも輸入された図様のひとつでした。その多くは絵画作品であり、また猫がじっと固まって雀を目で追う姿の一面的な構図となっています。
ところが、春日大社の国宝の太刀では、ひと振りの鞘の細い表面に、1匹の同じ猫が「狙う」「追う」「捕える」の3つの行動を連続的に起こしている様子が描写されているところがおもしろいのです。裏面にも同様の図案で3連続の猫の姿が描かれています。
猫はじっとしていてももちろんかわいい動物です。でも、それだけじゃない。生き生きとした本物の猫が好きな人の「躍動感ある猫もぜひ見て欲しい!」「なんともしても動く猫を表現したい!」という願いが、場面転換を表現したこの太刀独特の図様を完成させたのかもしれません。
■猫好き貴族の執念で完成した名刀
では、そんな熱心な猫好きとは、どんな人だったのでしょうか。
宇多天皇に一条天皇、豊臣秀吉、篤姫、歌川国芳、夏目漱石、南方熊楠……歴史的人物の中にも名だたる猫好きは多くいましたが、春日大社に『金地螺鈿毛抜形太刀』が納められた900年ほどの前の人物で無類の猫好き、しかもこれほどの名刀を奉納できる実力者は限られているはず。
春日大社国宝殿の学芸員・渡邉亜祐香さんによると、奉納者は特定できていないものの、思い当たる人物はいるそう。
「確たる史料が発見されていないため断定はできませんが、もしかしたらその人は、春日大社とも深いつながりのある摂関家の有力者、藤原頼長(1120~1156)であった可能性が指摘されています」
頼長が保延2年(1136)から久寿2年(1155)に渡ってしたためた『台記』と呼ばれる日記の康治元年(1142)8月6日の条に、頼長が猫をいかに大事にしていたかが伺える記述があります。
〈僕少年養猫、猫有疾、即画千手像、祈之曰、請疾速除癒、又令猫満十歳、猫即平癒、至十歳死、裹衣、入櫃葬也〉
(子供の頃、飼っていた猫が病気になったため、千手像を描いて早く病気が治りますように、10歳まで生き永らえますようにと祈願した。すると猫の病気は治り、猫は10歳で亡くなった。亡骸は衣に包んで櫃に入れて葬った)
その苛烈な政治ゆえに「悪左府」とも呼ばれた頼長でしたが、猫への愛情は人一倍であったことがわかります。妥協を許さない性格だった頼長だからこそ、細部にまで徹底してこだわり、猫の猫らしい動きを追求した描写の太刀を作らせたのでしょう。そしてその太刀を、崇敬する春日の神様にご奉納したのではないか。そんな気がしてなりません。
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さてその太刀『金地螺鈿毛抜形太刀』ですが、直近ですと、今年12月22日から境内の国宝殿で開催される「春日大社御創建1250年記念展Ⅰ 伝説の名刀たち」で公開されるため、間近に拝観することができます。
900年近く前の猫好き先輩の執念の一振り。当時の猫の躍動感ある愛くるしい様子をぜひ、春日大社国宝殿で拝観してみて下さい。いつの時代にも変わらない人間の猫愛が伝わってくるはずです。
文/一乗谷かおり
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