「新聞記者など、てるてる坊主のようなもの」(成島柳北)【漱石と明治人のことば341】

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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「新聞記者の如きも、亦(ま)た一個の照り照り坊主なり」
--成島柳北

成島柳北は江戸幕府の奥儒者の家に生まれ、20歳過ぎの頃、14代将軍徳川家茂の教育に当たった。その後、武官に転じ、外国奉行、会計の副総裁の任に当たったが、幕府が瓦解。

成島はこのとき、これより後は、「真に天地無用の人となれり。故に天地有用の事を為(な)すを好まず」と宣言した。長きにわたって徳川家から受けた恩顧を深く心にとどめ、今後は改めて新政府に仕えたりして世間有用の仕事に従事することはしない、と覚悟を決めたのである。

とはいえ、何かをせずには暮らしは立たない。成島は東本願寺の学校の教師となり、法主に随行して欧米諸国をめぐった。この間、岩倉使節団と出会い、岩倉具視や木戸孝允と知り合うが、こうした人脈を頼って便宜を得ようなどという気は微塵もなかった。

帰国後の明治8年(1875)、『朝野新聞』の創刊に当たって社長の職に推されて就任しても、「無用の人」たろうとの思いは忘れなかった。論説記者の仲間入りをして舌鋒鋭く政治を論ずるようなことはせず、無用の文ともいうべき雑録を書くことに徹した。しかし、その雑録こそが朝野新聞の価値を高からしめた、といわれる。

また一方では、社長という立場の責任上、時の政府を批判した社の政治記者らとともに弾圧され、120 日にわたる入獄生活も経験したが、ひとり成島だけは獄中でも気負うでもなくしょげるでもなく、普段と変わらぬ淡々とした態度を貫いていたという。

そんな成島柳北の雑録のひとつに、「照り照り坊主」と題するものがあった。掲出のことばは、そこからの引用。新聞記者というものは、女性や子供が雨を嫌い、晴天を祈る心から軒先につるす照る照る坊主みたいなものだというのである。

このあと、成島はその理由をこう綴っていく。

「何となれば、世人が争ふて権利自由を喜び、務めて之を得んと欲すること、猶ほ雨中に晴天を望むが如し。而して記者は之が為めに軒先に出かけて、雨に敲かれ、風に揉まるるの困難に遭ふことを免れず。記者豈(あ)に他志有らんや。唯だ世上の風潮に推し出され、輿論(よろん)の勢力に釣るされて斯くの如き場合に立ち至るなり」

今の世の人々は、晴天を望むような素朴な気持ちで権利や自由を求めている。それを見ていればこそ、新聞記者は風雨に打たれることも承知の上で、時の政府への批判もする。だけど、それはあくまで民衆や輿論を代弁しようとしているだけで、他意はない--。

そして、最後、成島はこう結ぶ。

「照り照り坊主は、自己の心より風雨に抵抗するものにあらず。元来是れ一片の紙より成り立ちたるものぞかし。風々雨々、請ふ軽く吹け、請ふ軽く撲て」

新聞記者などというものは、一片の紙から出来た照る照る坊主と同じ弱者に過ぎない。記者個人が無闇やたらに権力に抵抗しようとしているわけではない。あまりいじめたもうな、というわけ。

飄々として柔らかな語り口の中に、雪折れしない柳のような勁さが感じられる。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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