文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない」
--檀一雄
作家の檀一雄は、太宰治や坂口安吾と深く交流した無頼派のひとりだった。着手から完成まで20年もの歳月を要した私小説的力作『火宅の人』に、その無頼の跡をなぞることもできるのだが、放浪癖という一事においては、この人こそ無頼派仲間でも随一の人物であった。なにせ、日本国中はおろか、世界のあちこちを彷徨しているのだから。
そして、その放浪が、そのまま料理につながっていくところが、檀一雄の檀一雄たる所以。檀一雄は料理好きで、『檀流クッキング』という本格的な料理本までまとめているのである。
掲出のことばも、その『檀流クッキング』に書かれた一節。つづけて檀はこう綴っていく。
「おそらく、私の旅行癖や放浪は、私の買い出し愛好と重大な関係があるのであって、私にとってその土地に出かけていったということは、その土地の魚菜を買い漁り、その土地の流儀を、見様見真似、さまざまなものを煮たきし、食ったということかもわからない」
そもそも檀一雄が料理をはじめたのは9歳の頃。祖母が家を出て、下に小さな妹が3人いたものだから、その面倒を見るため、寺の一部を借りて、朝、昼、晩と食事の支度をしたことからはじまる。やらなければならない必然性があったのだが、そうしているうちに自然と料理の楽しさを覚えていったのである。
檀一雄の中にある旺盛なサービス精神も、そこに作用した。人が「おいしい」と言ってくれると、自分も嬉しい。それがパワーの源となって、ますますおいしいものを作ろうと奮闘するのである。
サービス精神ということでは、こんな図抜けたエピソードもある。ある客人が馬肉を食べたことがないという話を耳にした檀一雄は、「それでは私が買ってきて食べさせよう」とばかり、早速浅草に近辺に買い出しに出かけていった。ところが、出かけたなり、一向に帰ってこない。その日が終わり、次の日が過ぎて、また次の日が来た。その間、どこでどうしているのか、檀一雄からは何の連絡もない。家人のやきもきも頂点に達しようかというころに、「ただいまあ」と威勢のいい声がして、ついに檀が帰ってきた。浅草にいい馬肉がなかったために、本場の長野県・伊那にまで、はるばる買い出しに出向いてのご帰還だったのである。
臨終間際の病床でも、檀一雄は駆けつけた見舞い客の顔を見て、長男にその日の饗応の献立を指示したという。最後の最後まで、サービス精神にあふれるプロ顔負けの料理人であった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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