文/矢島裕紀彦
今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「ひかり列車の便所に入りゃキバる間に五里走る」
--砂川捨丸
映画や演劇の世界で「コメディ・リリーフ」と呼ばれる手法がある。物語展開が観客にもたらす過度の緊張をやわらげるため、意図的に滑稽な場面を差し挟むというやり方である。現実社会でいわゆる「お笑い」が渇望されるのは、人びとの暮らす日常が、無闇矢鱈と緊張とストレスに満ちているせいかもしれない。
たとえば、時は昭和。ミヤコ蝶々が相方で夫でもある南都雄二と舞台に立って漫才をはじめる。
蝶々「いつまでも仲よういかなあかん、と思うなあ。夫婦にもいろいろありますからねえ」
雄二「ほんとやねえ」
蝶々「そうかと思うたら、奥さんが非常に小柄で可愛らしい奥さんで、まあ、旦那さんがアホみたいな漫画みたいな顔して、横で返事してる旦那さんもあるしねえ」
雄二「それ誰のこと言うてるねん」
こんなやりとりに笑いさざめき、人びとは、胸底に滓(おり)のようにたまった憂さを払いのけるのである。もちろん平成の今も、現実社会の「コメディ・リリーフ」役を担う多くのお笑い芸人が活躍する。
ちなみに、南都雄二という芸名は、幼少期から仕事に追われ平仮名しか読めなかったミヤコ蝶々が、台本を見ては夫に繰り返し尋ねる「なんという字?」の問いかけから生まれたものという。
さて、砂川捨丸は明治23年(1890)大阪生まれ。本名・池上捨吉。上記、ミヤコ蝶々や南都雄二の大先輩として、近代漫才の歴史そのものを歩んだ人物だった。
初舞台は10歳。16歳で漫才師として立ち、それまで着流し姿が当たり前だった舞台衣裳を紋付き袴に改める一方で、東京進出と地方巡業に精を出し、漫才の地位を確立した。
古くからの伝統的スタイルを継承して、手にした鼓で絶妙の間をとる。そんな名人芸で、中村春代を相方に、昭和46年(1971)10月、80歳で亡くなる直前まで舞台に立った。
掲出のことばは、新幹線の開通を受けて、「ひかり」号の速さを漫才のネタに取り入れた台詞。少々シモがかってはいるが、鼓片手の古典的な型を崩さず引き継ぎながらも、時代・世相の移り変わりに素早く適応する笑いのセンスが(「ひかり」だけに)光っている。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。
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