文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である」
--新渡戸稲造

岩手・盛岡にある盛岡市先人記念館を取材で訪れ、新渡戸稲造ゆかりの小さな革靴を見たことがある。聞けば、ドイツ留学中の新渡戸が、靴づくりの職人仕事が哲学的修養に役立つと知り、自らつくったものだという。全長約18センチ。底面の鋲の打ち具合や縫い目に素人っぽさを残しながらも、丹念な仕事ぶりに質朴・高潔な人柄が覗いている気がした。

新渡戸稲造は文久2年(1862)南部藩士・新渡戸十次郎の三男として生まれた。札幌農学校を経て東大に進むも、その教育内容に失望して中退。海を渡って、アメリカやドイツの諸大学で、農業経済学や統計学を学んだ。

帰国後は教育者として、札幌農学校助教授、京都帝大教授、一高校長、東京帝大教授を歴任。豊かな教養と高い識見、かつ個性あふれる人間教育の重要性を唱え、実践した。大正7年(1918)には、東京女子大学の初代学長に就任。晩年まで、女子教育の振興に力を尽くした。

一方で新渡戸は、「太平洋の架橋」となることを目指した。大正末期から昭和初年まで、国際連盟事務局次長としてジュネーブに駐在。その後、貴族院議員、太平洋問題調査会の理事長として、折からの日米関係の悪化をやわらげようと粉骨砕身の努力をしたのだ。

掲出のことばは、新渡戸稲造がその著『武士道』の中に記したもの。形ばかりで心のこもっていない礼儀作法は、ただの茶番に過ぎないというのである。

『武士道』は、新渡戸が米国滞在中の明治31年(1898)に英文で書かれ、翌々年にフィラデルフィアの版元から刊行された。

新渡戸がこの本を著したそもそものきっかけは、ベルギーの法学の大家であるド・ラブレーから、「日本の学校では宗教教育がないというが、ではどうやって子供たちに道徳教育を授けるのですか?」と問われたことだったという。その場では何も答えられなかった新渡戸は、よくよく考えてみて、武士道の存在に思い至った。

とはいえ、新渡戸の『武士道』は、旧弊のかたくなな武士道論に閉じ籠もることはなかった。武士道を日本のよき精神的伝統としてとらえ直し、キリスト教や欧米社会との対比も含めた広い視野と柔軟な理性で論じた。だからこそ反響は大きく、米国内で版を重ねるだけでなく、ポーランド、ドイツ、ノルウェー、スペイン、ロシア、イタリアなど、多くの国のことばに翻訳され、明治の日本が世界に誇るベストセラーとなったのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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