文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「恋愛は人生の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を抽(ぬ)き去りたらむには人生何の色味かあらむ」
--北村透谷

掲出のことばは、詩人で評論家の北村透谷が随筆的評論『厭世詩家と女性』の冒頭に綴ったものである。明治20年代としては、この文章は極めて新鮮かつ衝撃的であった。高らかに恋愛を称揚したこの一節を、若者たちは競って暗誦した。

北村透谷は明治元年(1868)神奈川・小田原に生まれた。本名・門太郎。10代半ばは、自由民権運動にかかわる少年壮士だった。

離脱して文学の道に転じても、その気概は失わなかった。神奈川の民権家・石坂昌孝の長女ミナとの激しい恋愛、そこから導かれたキリスト教信仰を胸に、心の葛藤を味わいつつも、日本最初の長篇叙事詩である『楚囚之詩』や、世界観的な構想をもった劇詩『蓬莱曲』を書き、山路愛山との間にいわゆる「人生相渉論争」を繰り広げた。文芸同人誌『文学界』の創刊に携わり、周囲に大きな影響をもたらしたが、深い懊悩の末、25歳で自ら命を断つ。

『文学界』同人でもあった島崎藤村は、そんな透谷の二十七回忌に次のような回想文を寄せている。

「その惨憺とした戦いの跡には拾っても尽きないような光った形見が残った。彼は私達と同時代にあって、もっとも高く見、遠く見た人の一人だ」

神奈川県小田原市の小田原文学館に、透谷遺愛の文箱が残っていると聞いて、訪ねてみたことがある。

文箱の大きさは、縦28センチ、横21センチ、高さ8センチ。全体の色調は焦げ茶色。蓋の表面の箱根細工は、「古乱寄木」と呼ばれる様式。持ち主の死から100 年以上を経ても、寄木の噛み合わせには、ほとんど狂いが見られなかった。透谷はこれを身辺に置いて、文士としての格闘をつづけていたのだろう。

「古乱寄木」の中央付近、6枚羽根の風車のような模様が、とりわけ印象的だった。闘いの果てに25歳の若さで自害した透谷の苦悩が、いまもそこにくるくると渦巻いているように感じられたのである。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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