文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「経済至上主義は、子どもたちに心の貧しさをもたらしました」
--井深大

井深大(いぶか・まさる)は明治41年(1908)栃木県に生まれた。早稲田大学理工学部に進み、学生時代に「走るネオン」を発明してパリの万国博覧会で優秀発明賞を受賞した。写真化学研究所、日本光音工業、日本測定器を経て、敗戦後まもない昭和21年(1946)東京通信工業を創立。その趣意書に、井深はこう記した。

「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」

この東京通信工業が、のちのソニーである。

盛田昭夫と二人三脚で「世界のソニー」を育て上げ、実業人として功成り名遂げた井深大は、教育問題にも情熱を傾けた。学園紛争の嵐が全国的に広がる様相を目の当たりにしたのが、ひとつのきっかけだったという。

教育問題というと、多くの場合、学校教育に目が向けられるが、井深の場合は少し違った。豊かな心と頭脳を持った子どもを育て、真の「人づくり」をするためには、学校に入学する以前の早期からの教育が重要だと考えたのである。昭和44年(1969)、幼児開発教会を設立して理事長に就任。とりわけ「0歳時代の母と子の絆を通じての教育」の重要性を説いた。

掲出のことばは、そんな井深が著した『井深大の「教育論」』の中に書かれた一文。つづいて井深はこうも語っている。

「知育偏重もまた、子どもたちの心を貧しくした大きな原因として見過ごすことができないものです」

「今の子どもたちは、偏差値による有無をいわせない厳格な序列付けの中で、優越感と劣等感のはざまに自分を置き、本来の自分はどんなユニークな面を持っている人間なのか、社会のどこで自らの力を発揮できるのかが、わからないままの状態に置かれています。目的を持ち、真の生きがいを見つけることができないため、いきおい金銭至上主義のとりこになってしまうのではないでしょうか」

金銭至上主義が蝕んでしまったのは、いまや、子どもたちのみならず、社会全般であろう。最近の神戸製鋼や日産の不祥事の根底にも、同じ問題が横たわっているように思える。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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