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文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「兵営の代りに学校を建て、軍艦の代りに工場を設くる」
--石橋湛山

石橋湛山は明治17年(1884)東京に生まれ、山梨で育った。父は日蓮宗総本山・久遠寺の81代法主をつとめた杉田湛誓。石橋は母方の姓だった。幼児から厳しい躾けを受けたことで、一徹な個性が磨かれたという。

早稲田大学で文学科哲学科を専攻し、首席で卒業。27歳で東洋経済新報社に入った。当初は『東洋時論』という社会評論中心の雑誌の編集を担当していたが、廃刊となり、『東洋経済新報』に異動した。

石橋はここで一年発起し、独学で経済学の勉強をはじめた。通勤の途次、市電の中で、セリグマンの『経済原理』、トインビーの『十八世紀イギリス革命史』、ミルの『経済学原理』など、多くの経済学関連の書物の原書を読破していったのである。

こうした努力の積み重ねで、石橋は日本屈指の経済通のオピニオンリーダーとなり、「日本のケインズ」という異名も与えられた。軍部の領土拡張路線には一貫して反対し、抵抗の姿勢を示した。『大日本主義の幻想』という論文を発表し、掲出のことばを述べ、軍縮路線を訴えた。

要は、軍事費に際限なく予算をつぎこむのでなく、教育や経済に金を回すべきだということ。

石橋は昭和初期、厳しい言論統制がおこなわれる中でも、口を閉ざすことなく、次のような言説を掲げ正面から陸軍の非を突いた。

「一方において言論を忌避抑圧し、他方においてその有する特権を利用して政界を強引するとすれば、それは独裁政治と相去ること幾許(いくばく)であるか。斯くの如くんば、事は単に軍部対政党の争でない。実に軍部対国民の対立たらんとする危険がある」

戦後は、日中関係の円満密接化に積極姿勢を示した。石橋はこんなふうに語っている。

「私はかねがね人間のしあわせというものは、資本主義とか共産主義とかいうイデオロギーによって左右されてはならないと考えている。(略)イデオロギーは人間に奉仕すべきものであると思う」

昭和31年(1956)、72歳となる石橋は、自民党総裁選で逆転勝ちして宰相となった。かねてからの持論通り、自由主義、成長経済推進による景気浮揚策を打ち出したが、病のため、志が緒についたばかりで辞職。石橋内閣の蔵相・池田勇人がこの思いを引き継ぎ、のちの高度経済成長となって花開いたのだった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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