文・写真/鈴木拓也
近鉄南大阪線に「土師ノ里駅」という駅がある。この名称は、かつては一帯が、渡来系士族の土師(はじ)氏の本拠であったことにちなんでいる。
土師氏は、貴族の土師古人(ふるひと)の代に菅原と改姓し、3代後の菅原道真は右大臣にまでのぼりつめた。この道真と縁が深かったのが、土師ノ里駅の近くに位置する道明寺である。
開基はかの聖徳太子。土師連八嶋が屋敷を寄進し、土師寺という名の氏寺としてはじまった。6世紀の終わり頃のこととされている。
かつては、五重塔もそなえた四天王寺式の七堂伽藍を有する大寺であったが、兵火などにより多くを焼失した。今は、旧境内地にある五重塔の礎石や荘厳な山門などが、昔日の面影をしのばせる。
山門を入り、左を見ると木槵樹(もくげんじゅ)の木が立っている。言い伝えでは、菅原道真が40歳の時に道明寺で五部大乗経を写経し、書写した経典を納めたところから生えてきたという。(ただしその伝来の樹は寺の少し南にある西宮神社(道明寺天満宮境外末社)にあり、現在道明寺の境内にある木槵樹は、
道真公は、父菅原是善の妹である覚寿尼が住職を務めるこの寺への帰依の念深く、たびたび訪れていた。本尊の十一面観音立像(国宝)は、道真公が36歳のときに自ら彫った、藤原時代の仏像彫刻の傑作とされている。
政敵の讒言(ざんげん)がもとで大宰府へ下向することになった道真公は、叔母の覚寿尼を訪れ、別離を惜しむ一首を残している。
啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな
(鶏が鳴いたら別れを急がねばならない。鶏の鳴かない里の暁であったなら)
後に土師寺は、道真公の号「道明」をとって道明寺と改められた。
本堂内に祀られる本尊の十一面観音立像の左側には、木造の聖徳太子孝養立像(重要文化財)が安置されている。1286年造立の、仏師の一派である院派に属する者の作とされている。16歳の太子が、病に伏す父・用明天皇の回復を祈願している時の姿である。
ところで多くの人は、「道明寺」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「道明寺粉」、そしてこれから作られる桜餅かもしれない。実は、道明寺では「道明寺粉」なるものはなく、近くの店でも桜餅は見かけない。
代わりに寺には「道明寺糒(ほしい)」がある。これは、もち米を2日間水につけたものを蒸して、10日間屋内で乾燥させたのちに20日間天日干ししてから、石うすをかけたもの。
道明寺糒の起源は、覚寿尼が、道真公の左遷された大宰府に向かってお供されたご飯のおさがりを分かち与えたところ、これをいただくと病気が治ると評判になったことに始まる。より多くの人に分けようと、事前に乾燥・貯蔵していたものが、いつしか武将の携行食として活用され、江戸時代には皇室や将軍家を含む諸侯に献上されるようになった。それが、明治の世に入ると民間にも販売され、阪神淡路大震災の際にも非常食として活躍したというのだ。
スーパーでも見かける和菓子にも、実は奥深い由緒がこめられているという一例だろう。道明寺来訪のおりは、「道明寺糒」を味わい、悠久の歴史が織りなしてきた様々な機微を感じていただきたい。
【道明寺】
■住所:大阪府藤井寺市道明寺1-14
■本尊拝観日:毎月18、25日、1月1~3日、4月17日の9:00~16:00
■拝観料金:500円
■電話:072-955-0133
■公式サイト:http://www.domyoji.jp/
■アクセス:近鉄南大阪線「土師ノ里駅」または「道明寺駅」下車、徒歩数分
文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。
※道明寺蔵「十一面観音菩薩立像」(国宝)は、2018年1月16日(火)~3月11日(日)に東京国立博物館 平成館(上野公園)で開催される特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」に出陳されます。