文/矢島裕紀彦

今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「私はこれまで一度も、社員を会社の利益のために使うとか働かせようなんて考えたことはありません。どうしてみんなを立派な人間として育てるか、それが私のいつも心掛けてきたことなんです」
--出光佐三

出光佐三は明治18年(1885)福岡に生まれた。神戸高等商業学校(現・神戸大学)卒業後、一流企業へ就職せず、神戸の酒井商会に丁稚奉公して石油と小麦粉の商いを身につけた。明治44年(1911)、出光商会を創立し機械油の販売を開始。その後、中国大陸や東南アジアにも進出するが、敗戦ですべての海外資産を失った。それでも、独自の経営哲学を貫きつつ会社を再建。GHQや国際石油資本などの巨大な権力に対しても、臆することなく堂々と渡り合ったのである。

出光興産が社員数1万人を擁する大会社となっても、出光佐三は、出勤簿もタイムレコーダーも導入しなかった。馘首も定年もなければ、権限の規定や罰則も設けなかった。「どうしてなのか?」と問われると、「店主」と呼ばれる創業者は、間髪入れず掲出のことばで答え、こうつづけた。

「人を育てるのに、権限の規定や罰則なんかいりません。その根本は信頼であり愛情です。それから自然に人間の真の働く姿が現われてきます。お金や規則で縛って人間を働かせようなんて、とんでもありません。それは人間侮辱というものです」

こうした「人間尊重」の精神と「黄金の奴隷たるなかれ」という信念が、出光佐三の会社経営の核だったのである。

実際、関東大震災直後には、けっして利を貪ることなく無煙炭を養蚕地帯に供給し、復興へ一役買った。また、敗戦後の混乱期、事業崩壊の危機にあっても、海外から引き揚げてきた800 人余りの社員を、ひとりも辞めさせることなく受け入れた。

こうした精神はやがて、「事業の芸術化」という表現に収斂されることになる。曰く。

「真の芸術と真の事業とは、その美、その創作、その努力において相一致し、その尊厳と強さにおいて相譲らざるものである」

昭和56年(1981)3月7日、出光佐三は腸閉塞から心不全を引き起こし、主治医に看取られて東京・目黒区の自宅で没した。95歳だった。

床の間にはこの日、手に入れたばかりの仙崖の「双鶴図」がかかっていた。仙崖は江戸後期の禅僧で、人生の機知やユーモア、深い哲学を内包した多くの書画を描いた。出光は1000点を超えるその書画を収集していた。その書画を前に、教訓を読み取り励まされ、何度も事業家としての難局を乗り切ってきた。仙崖は出光佐三にとって人生の師のような存在であったのである。

臨終の日の床の間の「双鶴図」の讃は、「鶴ハ千年 亀ハ万年 我れハ天年」とあった。ここでも出光佐三は仙崖に導かれ、「天年」の寿命を全うしたかのようだった。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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