対局中の阪田三吉。阪田は自分の大局観を《わては五重塔の上に立っとるさかい、大阪中の火事がみんな見える》と表現した。写真:毎日新聞社

阪田三吉は頭が人並み外れて大きかった。それもいわゆるサイヅチ頭。頭頂部が平べったくて、ハチが張っている。当の本人曰く。

《頭の大きいのは賢人の証拠やそうやが、ワシの頭は将棋ばかりで、外になんにもない》

自慢の裏返しではなかろう。素朴な謙遜の中に、我知らず仄かなユーモアが香る。そういう人柄であったようだ。

律儀でお洒落れ、後輩たちにもやさしい。《将棋指しは体が大事や。体をつくらにゃあかんで》と独自の健康法を説き、記録係には「これ取っとき」と手の切れるような5円札の入った封筒を差し出す。少年時代の大山康晴もこの恩恵に与あずかっている。

明治3年6月3日、和泉国大鳥郡舳松村(現・大阪府堺市)の生まれ。家業は草鞋の表づくりだった。明治9年、小学校に入学するが半年ほどでやめてしまう。本人は《一体ワシは読み書きが大嫌いで学校へは半年ばかり通ったけれど、勉強がいやでいやでならない》と語っているが、それ以上に家の貧しさが影響していたのだろう。

現在、扇子などに揮毫(きごう)した阪田自筆の「馬」と「三」の字が残るが、これは読み書きができなかったとされる阪田が還暦の頃、書家の中村眉山に教わったものである。

阪田直筆の扇子(日本将棋連盟蔵)。阪田は午年生まれ。「馬」は成り角でもあり好きな文字だった。文字を習ったのも午年という。

勉強は嫌いだが、将棋は大好きだった。近所では、よく大人たちが縁台将棋を指していた。それを見て習い覚え、12歳の頃には初段の棋力を身につけたという。もはや、村の大人たちで阪田にかなう者はいなくなっていた。

16歳の夏、父親が突然に亡くなった。戸主として家計を支える立場になった阪田は、家業を引き継ぐより得意の将棋に活路を見出す。当時、街中では当たり前のように賭け将棋が行なわれており、阪田は相手を求め大阪市内までも出かけていく。そのうちには「堺の三吉」は、凄腕の賞金稼ぎとして広く知られるようになった。

*  *  *

阪田が25歳の頃、突然に堺の料亭に連れていかれ、色の白い役者のような男と将棋を指さされた。手強かった。三番指して、角落ち(相手が角なしで戦うハンディ戦)でひとつ星を拾うのがやっと。相手が西国武者修行中の東京のプロ棋士・関根金次郎であることはあとで知らされる。生涯のライバルとの邂逅であった。

明治39年4月22日、阪田は大阪・阿弥陀池で、またも関根と盤を囲んだ。あの日の対局以来、すでに何番か戦っているが、この日の対局は阪田の生涯の中でも特筆すべきものとなる。

昭和戦前までの将棋は、段差によってハンディが決まっていた。二段差で香落ち、四段差で角落ちといった具合だった。このとき関根の八段に対し、阪田は五段半と目されていた。よって香落ちで二番指したのだが、その2局目が問題だった。

阪田が怒濤の攻めで敵陣に迫る終盤、関根の巧妙な受けから、互いに同じ手の繰り返しになる「千日手」となった。今なら引き分けだが、当時は同じ指し手を3度繰り返した場合、仕掛けた方が手を変えなければならなかった。師匠もおらず、自己流で叩き上げた阪田はそれを知らなかった。

そして敗北。阪田の中でこれは「発奮の千日手」となった。関根は「千日手」になることを見抜き、勝ちに結びつけた。そんなの本当の勝ちではない。阪田はそう思って憤慨した。

帰宅すると、女房のコユウに宣言した。《俺は今日から本当の将棋指しになる》

《続きは『サライ』本誌10月号の特集「将棋界「鬼才」列伝」をご覧ください

『サライ』2017年10月号では「将棋界“鬼才”列伝」と題して、「鬼才」と呼ばれる、阪田三吉、升田幸三、大山康晴の3「名人」の足跡とともに、遺された至言を挙げ、その人物像を詳らかにします。

将棋盤上で繰り広げられた名勝負の逸話を、縁の地や遺品の写真を盛り込みながら誌面で展開。巻頭では、谷川浩司九段に「3名人の思い出」も語っていただきました。サライならではの将棋×人物特集、ぜひご覧ください。

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※この記事は『サライ』2017年10月号より一部転載しました(取材・文/矢島裕紀彦、撮影/小林禎弘)

 

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