今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「元気そうなのは、外見だけ。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの以外受けつけず、耳ときたら、都合の悪いことはいっさい聞こえません」
--吉田茂

吉田茂は、「ワンマン宰相」のアダ名に象徴されるように、我が強く、また同時に群を抜く指導力の持ち主であった。

明治11年(1878)東京生まれ。東京帝国大学卒業後、外務省入りして奉天総領事、駐英大使などを歴任。太平洋戦争末期、近衛文麿らに和平工作を働きかけたことから憲兵隊に検挙され、2か月の刑務所暮らしも経験した。敗戦後は、GHQの最高司令官マッカーサーと渡り合って、「負けっぷり」のよさを前面に出しつつ、日本復興の礎を築いた。

独得の辛辣なユーモアに富む発言でも知られた。掲出のことばは、日米修好100 年祭に招かれ、82歳で渡米した折、外国人記者団を前に語ったもの。記者団は煙に巻かれるしかなかった。

「お顔の色が大変いいようですが、何を召し上がっていらっしゃるのですか」と問われれば、「人を食ってます」という答えが即座に口を突いて出る。この人以外の誰が、こんな台詞を言えるだろう。

もうひとつ、若い頃の吉田茂の名言を紹介しておこう。

大正5年(1916)寺内正毅内閣が発足したときに、総理の寺内が、挨拶にやってきた旧知の吉田茂に向かって、上機嫌で「どうじゃ、総理大臣の秘書官をやらんか?」と水を向けた。すると、吉田はこう答えた。

「総理大臣ならつとまるかもしれませんが、秘書官はとてもつとまりそうもありません」

そして、実際、このことば通り、吉田は総理の椅子に座ることになる。

吉田茂が内閣総理大臣に就任したのは、昭和21年(1946)。戦後の混乱期でもあり、国会議員の身分でないまま、自由党総裁に迎えられることでその座についた。翌年、総選挙に出馬するに当たって選挙区を決める際、父の郷里ということで高知を選んだ。

吉田は神奈川・大磯に住んでいたから、馴染みのある神奈川県から出馬したらいいのではないかと勧める声もあった。だが、「遠い方が選挙民が訪ねてくることもなく、無愛想が目立たなくていい」と助言する者がいて、本人も「もっともだ」とこれに従った。実際のところ、選挙運動中の演説でも吉田はまったく愛想がなかった。日本をどう導いていくかということに腐心していて、地元への利益誘導などという小賢しいことは頭の片隅にもないから、それを匂わせるような甘言も一切口にしないのである。

こんな逸話もある。あるとき、高知市内でコートを着たままぶっきらぼうに演説をしていると、「外套をとれ」という野次が飛んだ。昔は選挙民の前で土下座して票を獲得するような手合いもいたから、コートも脱がないなんて無礼な奴とでも思ったのだろう。しかし、そのとき吉田は顔色ひとつ変えず切り返す。

「外套を着てやるから街頭演説です」

この機知にあふれるひとことには、土佐の人々も大喜び。虚飾のない骨太の人柄もにじみ、吉田の人気が大いに上がったという。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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