今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「地球の上はみんな鮪なのだ/鮪は原爆を憎み/水爆にはまた脅やかされて/腹立ちまぎれに現代を生きているのだ」
--山之口貘

詩人の山之口貘は明治36年(1903)、沖縄の那覇に生まれた。300 年以上も続く名家の三男坊だった。

はじめ絵描き志望だった。上京し美術学校や画塾にも通ったが、父親が事業に失敗して一家離散状態となる。友人たちの家を渡り歩く暮らしも長くは続けられず、「夜空と陸との隙間」に所構わずもぐり込んで寝るような放浪生活に入っていった。と同時に、志向する表現も詩へと移行する。こうして、「るんぺん詩人・山之口貘」が誕生したのだった。

この頃、縁あって、文壇の大先輩・佐藤春夫が、春夫本人の名刺の裏にこんな文字をしたため持たせてくれた。

「山之口君ハ性温良。目下窮乏ナルモ善良ナル市民也」

この名刺は優れ物だった。一種の身分証として、大きな効力を発揮した。空き地の土管や駅のベンチに寝泊まりする山之口貘を、この名刺が、警察の不審尋問から繰り返し救ったのである。

山之口貘の詩文の推敲は、徹底し過ぎるほど徹底していた。一篇の詩を紡ぎ出すのに、200 枚もの原稿用紙を書き潰した。こんな逸話もある。苦労して書きためた詩も相当数になり、それらをまとめて処女詩集を刊行する運びになった。そこで山之口貘は佐藤春夫に序文を書いてもらった。佐藤はその序文の末尾に「一九三三年十二月二十八日夜」と日付を記した。ところが、実際に詩集が刊行されたのは1938年。序文をもらったあと、なお推敲に推敲を重ねるうち、5年の歳月が流れてしまったのである。

そんなありさまで、詩だけでは食えないから、方々に借金をしながら、さまざまな職業を転々とした。書籍問屋の発送荷造人からソバカス薬の通信販売、船頭助手、鍼灸師、汲取屋まで経験した。

それでも、本人は詩人たることに強い誇りと自信を持っていた。口語体のやさしい言葉遣いとユーモアの底に、人間存在の本然に根ざした哀感と辛辣と反骨をひそませ、地球規模に広がる独特の詩世界を構築していった。掲出のことばは『鮪に鰯』と題する詩の一節。地球の上はみな鮪、自分たち夫婦も鮪になってしまっているという奇妙に象徴的な状況設定の中で、原爆や水爆への憎しみを綴っていく。ここにも、山之口貘ならではの味わいがにじみ出ている。

昭和38年(1963)、59歳で病没。残された詩稿のひとつ『告別式』を下に掲げておきたい。

《金ばかりを借りて/歩き廻っているうちに/ぼくはある日/死んでしまったのだ/奴もとうとう死んでしまったのかと/人々はそう言いながら/煙を立てに来て/次々に合掌してはぼくの前を立ち去った/こうしてあの世に来てみると/そこにはぼくの長男がいて(略)ごちそうがなかったとすねているのだ(略)仏になったものまでも/金のかかることをほしがるのかとおもうと/地球の上で生きるのと同じみたいで/あの世もこの世もないみたいなのだ》

己の死も、見事にユーモラスに客体化していた。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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