一条天皇と中宮定子の熱愛
I:ということで、東三条院詮子の病気平癒のために、伊周、隆家を赦免することになりました。出家していたものの一条天皇(演・塩野瑛久)の皇女脩子を生んでいた中宮定子(演・高畑充希)に会いたいという思いに歯止めが効かなくなったようです。「公卿たちが黙ってはおらぬ」「波風などたっても構わぬ」というやり取りが国母・東三条院詮子との間で交わされました。「これは私の最初で最後のわがままである」とまで言い切りました。中宮定子と一条天皇の関係がクローズアップされている関係でわかりづらいですが、東三条院詮子にとって脩子は初孫。その詮子に対して、一条天皇は、定子を内裏に戻したいと心の内を明かします。
A:問題になったのは、出家した中宮定子を内裏に入れていいのかどうかということ。ここで折衷的な案として職御曹司(しきのみぞうし)にお移りいただくということになりました。内裏からは建春門(けんしゅんもん)を隔ててほぼ隣接する位置にあります。
I:ナレーションでも「職御曹司は内裏の東に隣接していた。わずかな距離ではあったが、天皇が職御曹司へ行くにはいちいち輿に乗らねばならなかった」と説明していました。物理的な距離はわずかでも、心理的な距離はあったということですね。
A:前週も東宮(皇太子)である居貞親王(演・木村達成)が「出家した中宮が子を生むとは」と批判していました。今週も女官らが「図々しぃ~」と噂する場面が挿入され、藤原実資も「前代未聞、空前絶後、世に試しなし!」と批判していました。実資は日記『小右記』にも「今夜、中宮、職曹司に参り給ふ。天下、甘心せず」と記しています(長徳三年六月二十二日条)。「甘心せず」というフレーズは実資がわりと多用している表現で、「感心できない」「同意できない」という意味でしょうか。
I:一条天皇と中宮定子の関係は、現代の感覚では「一途な愛を貫く」ということになりますが、貴族社会では内裏の秩序を乱す行為と受け取られていたということですね。
A:藤原実資は前出の長徳三年六月二十二日の『小右記』に「中関白家の人々は、中宮定子は出家していないと主張している」という意味のことを書いています。一条天皇と中宮定子の再会は当時の貴族社会のスキャンダルだったということになります。
I:『枕草子』の八十三段「職御曹司におはしますころ西の廂に」には、中宮定子が内裏に参入したことが書かれていますよね。この頃に、ふたりの間には、新たな命が宿るわけですが、これが政治的には新たな火種になるという歴史の悲劇が展開されることになるわけですね。
【「色恋営業」に屈しなかったまひろ。次ページに続きます】