ライターI(以下I):藤原道長(演・柄本佑)が30歳にして貴族社会のトップに立ちました。実兄で関白の道隆(演・井浦新)が病没し、道兼(演・玉置玲央)、さらには公卿の多くが疫病で亡くなるという緊急事態を経てのたなぼた的な政権掌握でした。
編集者A(以下A):道長の政権奪取にもっとも功績のあったのは姉の東三条院詮子(演・吉田羊)でしょう。ただし、道長はこのとき関白になっていません。『光る君へ』で時代考証を担当している倉本一宏先生の著書『一条天皇』(人物叢書/吉川弘文館)には「当初は道長が関白詔を蒙ったとの噂が立ったものの、実際には太政官雑事を、天禄三年(972)権中納言兼通に内覧を命じた例に准じて行なわせるということであったとある」とあります。
I:第17回で、定子(演・高畑充希)が文書を探しあてて20数年前に藤原兼通が「内覧」に任ぜられて「政権」を掌握した事例を伊周に教えていた場面がありましたが、それが道長に援用されることになったわけですね。定子が考え出した策略が、道長のために使われることになりました。
A:これは凄い展開になりましたね。
伊周vs道長の暗闘続く
I:さて、さっそく道長が陣定に挑み伯耆国、と因幡の国の租税を免除するという策が議題になります。今の鳥取県のことですね。
A:はい。陣定は官職の低い順から発言するというならい。順番に意見を述べていくと道長の前に内大臣の伊周(演・三浦翔平)が発言することになるのですが、この時伊周は異を唱えます。「二国の申し出を入れて税を免ずれば他国も黙っておらぬ」という発言にも一理あるような気もしますが、圧倒的に帝の意見が支持された中で浮いた感じになりました。
I:ちょっと前まで内大臣として、権大納言道長の上位にあった伊周ですが、この時は、右大臣道長が上位。現代でもかつての部下が上司になるというケースがありますが、そうした場合の「心の持ちよう」について考えさせられる場面でした。伊周はまだ22歳ですから、隠忍自重していれば再浮上する芽もあったはずですが、自らその芽を摘んでしまっていることを強烈に印象づけました。劇中では、伊周が、父道隆と道兼を呪詛したのでは、と道長に詰め寄りました。
A:実際に、この時期に、道長と伊周が激しい口論を戦わせたことを日記『小右記』に記録していたのが藤原実資(演・秋山竜次)。「〈右大臣・内大臣、仗座(じょうざ)に於いて口論す。宛(あたか)も闘乱のごとし。上官及び陣官の人々・随身等、壁の後ろに群がり立ち、之を聴く。皆、非常を嗟(なげ)く〉と云々」(長徳元年七月二十七日条)とあります。
I:「闘乱のごとし」というくらいですからかなり激しく詰め寄ったんでしょうね。その光景が目に浮かんでくるのは、ドラマ化されたおかげですね。
A:このころの道長と中関白家は一触即発の空気が漂っていました。劇中では描かれませんでしたが、仗座で口論のあった3日後には、道長の従者と伊周弟の隆家(演・竜星涼)の従者が洛中で乱闘に及んで、8月には、その事件の流れから道長の従者が殺害されるという生臭い大事件も発生しています。
I:この流れを予習していたのですが、殺害される従者が百舌彦(演・本多力)だったらどうしようとドキドキでした。ですからこの事件がスルーされて、ちょっとほっとしています(笑)。
A:さて、その陣定の背景では、ひぐらしの鳴き声のようなものが聞こえました。朝廷というくらいですから、もともと律令制では朝、政務をしていたのですが、平安時代中期位にもなると、身分の高い公卿は午後出勤し、今でいうと18時くらいに退勤していたようです。今回の場面でも、西日のような光が差し込んでいて、夕方にかけて陣定が行なわれていたのだな、と思います。
I:そんなところも細やかに演出されているんだなと感激ですね。そういう演出が、場面をぐっとリアルにしますね。
【藤原公任らが、「出世論議」を交わす、貴族社会の出世について。次ページに続きます】