はじめに-前野長康とはどのような人物だったのか

2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも登場する、豊臣秀吉(演:池松壮亮)に仕え、数々の戦場で功績を挙げた武将・前野長康(まえの・ながやす、演:渋谷謙人)。墨俣砦の建設や小田原攻めなどで活躍し、但馬国出石(現在の兵庫県出石郡)6万石の城主となった長康は、秀吉の側近として織豊政権の形成にも重要な役割を果たしました。

しかし、晩年は豊臣家のお家騒動に巻き込まれ、非業の最期を遂げます。本記事では、戦国の荒波を駆け抜けた忠義の武将・前野長康の生涯をたどります。

『豊臣兄弟!』では、かつては蜂須賀正勝(演:高橋努)と同じ川並衆の仲間だったが仲違いした人物として描かれます。

前野長康
前野長康

前野長康が生きた時代

長康が生まれたのは享禄元年(1528)、戦国時代のまっただ中。戦乱が日本全国に広がる中で、各地の武将たちが覇を競い、織田信長が台頭、のちに豊臣秀吉、徳川家康へと続く激動の時代でした。

下剋上が常態化し、身分や出自に関係なく才覚ひとつで出世ができた時代。長康の主君・秀吉もまた、農民出身から天下人へと駆け上がった人物であり、長康自身も秀吉の躍進を支えた功臣の一人として知られます。

前野長康の生涯と主な出来事

前野長康は享禄元年(1528)に生まれ、文禄4年(1595)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

若き日と木下藤吉郎との出会い

長康は尾張国(現・愛知県)に、前野宗康の次男として生まれました。兄は前野雄吉(まえの・かつよし)。

その後、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に仕え、両者の絆は厚く、信頼される家臣として秀吉の数々の戦略・築城事業に加わっていきます。

中でも有名なのが、永禄9年(1566)「墨俣一夜城」築城での功績。織田信長の命を受けた秀吉が美濃攻めの拠点として築いたこの城の工事に長康も従事し、以後の出世の布石となりました。

豊臣秀吉

四国・小田原攻めでの活躍と栄達

天正年間には四国攻めや小田原攻めにも従軍し、秀吉の天下統一に大きく貢献。

天正13年(1585)には、但馬国出石(現在の兵庫県出石郡)6万石の城主となります。出石の地は、戦国大名・山名氏の旧領であり、秀吉政権が西国を掌握する上での戦略的拠点でした。

長康も城主を務めた、現在の有子山城跡

豊臣秀次事件への連座と最期

しかし、栄華も長くは続きませんでした。文禄4年(1595)、秀吉の甥・豊臣秀次の失脚事件に連座し、長康も息子・景定とともに切腹。享年68歳でした。

この事件では多くの豊臣恩顧の家臣が処罰されましたが、長康もまたその波に飲まれた一人でした。

まとめ

前野長康は、豊臣秀吉の出世を陰で支えた忠義の家臣でした。築城、軍事、内政に尽力し、出石6万石の城主にまで上り詰めたその人生は、戦国時代の可能性と過酷さの両方を体現しています。

最期は豊臣家の政変に巻き込まれる形で幕を閉じましたが、その誠実な働きと功績は、今も出石の地に息づいています。派手な武功は少ないかもしれませんが、主君に忠を尽くした一人の武将として、歴史に刻むべき人物といえるでしょう。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本歴史地名大系』(小学館)
『日本人名大辞典』(講談社)

 

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