紫式部を育んだ平安京に始まり、『源氏物語』所縁の宇治、物語の構想を得たと伝えられる石山寺、藤原宣孝と恋文を交わした越前の地に、紫式部の残り香を求めて旅をする。
石山寺
紫式部は一時期、父為時の赴任に伴い都を離れて越前に下向している。為時一行は琵琶湖の打出浜(大津市)から出港、船で越前に向かったと考えられている。
大津には、藤原道長ら平安時代の貴族らがこぞって参籠した石山寺がある。本堂には藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)や菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)ら女性文学者も訪れた記録が今も残る。紫式部もここで『源氏物語』宇治十帖の構想を得たと伝承されている。
【立ち寄り処】石山寺境内に設けられた大河ドラマ館
光る君へ びわ湖大津大河ドラマ館(石山寺名王院)
『光る君へ』にちなむオリジナル映像やドラマの衣装、小道具などを展示。『源氏物語』誕生の契機ともなった土地故に、大河ドラマのみならず、歴史や紫式部に興味のある人も楽しめる展示が成される。同じく石山寺世尊院で開催される「源氏物語 恋するもののあはれ展」と併せて見学したい。
父・藤原為時とともに旅の途上で立ち寄った近江の海へ
三尾の海に綱引く民のてまもなく
立ち居につけて都恋しも
紫式部(白鬚神社歌碑より)
往時、都から越前への旅は琵琶湖を渡る航路が一般的だった。大津打出浜で乗船した紫式部は、高島の三尾で漁師が網を引く様子を見て、都を懐かしむ歌に詠んだ。
通常は都から越前までは水陸合わせて4日の旅程だが、新任国司の行列は規模が大きく、より長い旅となったと考えられている。秋に都を出た一行であったが、越前では初雪を見ることになる。
白鬚神社
取材・文/平松温子 撮影/奥田高文、小林禎弘
※この記事は『サライ』本誌2024年2月号より転載しました。