『光る君へ』第19回より、清少納言(左/演・ファーストサマーウイカ)とまひろこと紫式部(右/演・吉高由里子)。(C)NHK

ライターI(以下I):『光る君へ』も20回を数えました。

編集者A(以下A):今日は、『源氏物語』の研究者の先生にお話を伺います。國學院大学文学部で中古文学を専門としている竹内正彦教授です。先生は『2時間でおさらいできる源氏物語』『源氏物語の顕現』などの著者で、『図説 あらすじと地図で面白いほどわかる! 源氏物語』などの監修をされている『源氏物語』の研究者です。

竹内教授(以下竹内):『光る君へ』は楽しく見ていますし、学生をはじめいろいろな人からの質問もたくさん寄せられています。「先生、紫式部の本名はまひろというんですか」とか「道長とまひろの関係はあのような形でいいんですか」という質問があったりします。

I:興味をもって見ている方が多いんですね。

竹内:当時の女性の本名はわからないというのが基本です。名前はその人の人格そのもので、特に女性の場合は、名前を教えてしまうと、その男性と結婚しなければならないというほど重要なものでした。だからこそ、男性は女性に名前を尋ねるわけです。それで名前を教えてくれると、私はもうあなたと結婚しますということになりますし、下手に本名を知られてしまうと、呪詛、呪いを受けることにもなります。ですから名前は基本的には教えない。でも、宮仕えにあがったときに「名前」がないと仕事になりません。だから清少納言だとか、藤式部(紫式部)などの呼び名がつけられていくわけです。宮仕えの人々というのは、父や兄弟、夫といった近親者の官職にちなんで名づけることが多いですね。

I:なるほど。

竹内:紫式部も本名は知られていませんが、「香子」とする説があります。角田文衞先生(歴史・古代学研究者)がこの説を提示して、支持する意見もあります。根拠は、『紫式部日記』の中で車に乗る順番が示される記事がありまして、これが女房の序列を示すものであり、紫式部は掌侍(ないしのじょう)という官職を得ていたと考えられる、と。それらのことなどを『御堂関白記』という藤原道長の日記の記述に照らし合わせてみると、藤原香子という人が紫式部にあたる可能性が高いとされます。ただ、この説には反論も出ていて、確定したものとはいえません。「香子」の読みは「たかこ」ともされますが、いまお話ししたように、読み方こそわからないですね。

A:道長(演・柄本佑)とまひろ(演・吉高由里子)の関係についての質問も多いのですね。『光る君へ』では、道長とまひろはお互いを思い合っているという関係として描かれています。

竹内:ドラマで描かれているような関係はどうでしょうか……。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』という南北朝期から室町時代初期に編纂された系図集に「道長の妾」であるという記述はありますが。

A:『尊卑分脈』記載の「道長の妾」の真偽はともかく、そのような噂はあったのでしょうね。

竹内:これは『紫式部日記』などの歌のやり取りからの印象だと思いますね。「すきもの」の歌のやり取り(※1)とか、戸を叩く男(※2)ですよね。でも、戸を叩く男が道長かどうかというのはわからないことですし。まあ当時の歌のやり取りというのは、だいたい男性が恋に関わった形で歌を贈って、女性はそれに反発するという儀礼的なものでした。一見、恋人どうしのやりとりに見えますが、見えるだけで内実とは異なります。そういうやり取りが普通だということがわからないと、後世の人たちが、ふたりは何か関係があるのではと思ってしまうんじゃないかと思います。

※1:紫式部を色好みの物語作者としてとらえている道長とそれに対する紫式部の返歌のこと。
※2:夜中に紫式部の局の戸を激しく叩いた男がいて、翌朝道長から和歌が贈られてきたことが『紫式部日記』に書かれている。

画鋲の描写と「あやしきわざをしつつ」。次ページに続きます

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