NHK『日曜討論』ほか数々のメディアに出演し、シニア世代の生き方について持論を展開するライフ&キャリア研究家の楠木新さん(69歳)。人生100年時代を楽しみ尽くすためには、「定年後」だけでなく、「75歳からの生き方」も想定しておく必要があると説きます。楠木さんが10年、500人以上の高齢者に取材を重ねて見えてきた、豊かな晩年のあり方について紹介します。
文/楠木新
70代で終活を考えるのは時期尚早
コロナ禍の前に、新聞社主催の終活フェアで講演したことがあります。
百貨店の会場に到着した時には、広い場所に人がひしめき合っていました。終活という割には、にぎやかで明るい雰囲気だったのが意外でした。
葬祭関係業者、遺言や相続の相談所、老人向け施設の案内、保険代理店、旅行会社などの各ブースでは来場者にいろいろと説明していました。なかには棺桶に入るコーナーがあり、自分の葬儀の際に使う写真についてレクチャーを受けている人もいました。
講演会は80席の椅子がすべて埋まり、70代中心の参加者が真剣に耳を傾けてくれたので気持ち良く話すことができました。
目の前の講演を聞いている人たちの顔を見て確信したことがあります。この会場に来ている人たちは本気で終活の準備をしたいわけではない。むしろ誰もが残り少なくなる人生を前向きに生きたいと願っているのだということです。そう考えれば、会場の明るい雰囲気も、棺桶に入った人の笑顔や葬儀に使う写真について楽しく語り合っている姿にも合点がいきました。
ブースで提供しているサービスと来場者が求めているものとの間にはギャップがあると感じました。彼らが本当に望んでいるのは終活ではなく、70代以降の人生を充実して過ごせるサービスなのでしょう。
また75歳以上の高齢者が自ら死を選択し、それを国が支援する制度が日本で実施されるという内容の映画『PLAN75』が2022年6月に公開されました。日本の高齢化社会に生じる諸問題の解決策として実行されるという想定です。主人公は名優・倍賞千恵子さん。私の地元、神戸にある映画館は、70代半ばの人たちで満員でした。この映画には安楽死の問題が背景にあります。
映画のエンドロールを見ながら、私は75歳で安楽死は早すぎると思いました。「他の人はどのように感じたのか?」が気になって、映画館から次々と出てくる人たちを観察してみても、何か十分に納得していない表情の人が多かったのです。やはり彼らや彼女たちが望んでいるのは、生死の選択ではなく、次のライフステージに臨む新たなヒントだと思いました。先ほどの終活セミナーと同様なことを感じたのです。
その後、とある講演会で、私が映画『PLAN75』の内容を説明して「もし、映画『PLAN85』だとすれば、皆さんの受け止め方に違いはありますか?」と聞いてみると、会場の雰囲気が一瞬ピリッとなりました。
85歳という前提であれば安楽死のことが一瞬頭をよぎったのかもしれません。いずれにしても70代で終活を考えるのは時期尚早だといえそうです。
「リ・スターティングノート」を作成
まだまだ元気に楽しく過ごしたいのであれば、70代から再スタート(リ・スタート)する意味で、仕事やお金、人間関係、ノスタルジーなど、自らの最期に至る道筋を明らかにする「リ・スターティングノート」を作成してみるのはどうでしょうか。もちろん家族や世話になった人へのお礼の言葉、これからの若い人に対する応援行動が含まれていても良いと思うのです。
年を経ると、どうしても終了に向かって進むイメージを持ちがちです。しかしエンディングノートは一旦棚に上げて、今から何か新しいものに取り組む、「リ・スターティングノート」を作成し、生きる指針とするのです。
エンディングノートのような型や煩わしさは一切ありません。書きたい時に書きたいことだけ書けばいいのです。書きながら、書き足したり、書き直したりしていくことも一つのポイントです。私の「やりたいことリスト」と「自分史シート」は、この「リ・スターティングノート」の核となる情報です。「やりたいことリスト」がスラスラ書ける人はそれだけ書けば十分だと思います。
この考え方のヒントになったのは、ハリウッド発の映画『最高の人生の見つけ方』です。作品では、勤勉実直に働いてきた自動車修理工(モーガン・フリーマン)と仕事に人生をささげた大富豪(ジャック・ニコルソン)が、ともに余命宣告を受ける病をきっかけに病院で知り合います。二人は、「死ぬまでにやりたいことリスト」を作成して、専用ジェット機をチャーターしてスカイダイビングで空を舞い、レーシングカーに乗って互いに競争したり、サファリパークに足を運んだりします。
しかし、「死ぬまでにやりたいことリスト」となると、目標が壮大になりすぎ、絵に描いた餅に終わってしまうことが少なくありません。それゆえ、私は向こう3年以内、5年以内などと期間を区切って、「やりたいことリスト」を作成してみることを提案しています。繰り返しになりますが、一度つくっても適宜、アップデートした方が感情の変化を感じられてより楽しくなります。このなかに、遺言を書くといったエンディングノートに入れ込むような内容が入っても良いと思います。
のど自慢に挑戦したい、M-1の予選に出場する、吉本新喜劇を生で見たい、ワインのソムリエになりたい、地元の歴史を掘り下げたいなど、何でも良いでしょう。
非日常的なことだけでなく、生活に根差した新たな項目を付け加えてもいい。パートで新たな仕事をやってみる。楽器を始めてみる。興味のあった料理を本格的に学んでみる。美術館巡りをしてみる。どんなことでも人生のスタートのきっかけになります。生前葬は誰もが実施できないにしても、「生前葬というケジメ」と同じ効果を持つ「リ・スターティングノート」なら、作成できるのではないでしょうか。
収入のある仕事に就くことだけが生涯現役ということではありません。職業であれ、ボランティアであれ、趣味であれ、学びであれ、「自分なりの居場所を持つ」ことが現役の定義なのだと、私は思っています。現役であることが高齢期を最後まで「いい顔」で過ごすことにつながるのではないでしょうか。
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『75歳からの生き方ノート』(楠木新 著)
小学館
楠木新(くすのき・あらた)
1954年、神戸市生まれ。1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。人事・労務関係を中心に経営企画、支社長などを経験する。在職中から取材・執筆活動に取り組み、多数の著書を出版する。2015年、定年退職。2018年から4年間、神戸松蔭女子学院大学教授を務める。現在は、楠木ライフ&キャリア研究所代表として、新たな生き方や働き方の取材を続けながら、執筆などに励む。著書に、25万部超えの『定年後』『定年後のお金』『転身力』(以上、中公新書)、『人事部は見ている。』(日経プレミアシリーズ)、『定年後の居場所』(朝日新書)、『自分が喜ぶように、働けばいい。』(東洋経済新報社)など多数。