藤原彰子の足跡と主な出来事
藤原彰子は、永延2年(988)に生まれ、承保元年(1074)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
道長の長女として生まれ、一条天皇の中宮になる
藤原彰子は、永延2年(988)、藤原道長と源倫子(りんし/ともこ)の長女として生まれます。当時の貴族社会では、娘を入内させ、生まれた皇子を擁立することで、娘の父親は外祖父として権勢を振るうことができました。道長の父・兼家や兄・道隆は、この方法で強い権力を有することができたため、道長も娘の入内と皇子の擁立を強く望んでいたのです。
そのため、道長の娘として生まれた時点で、彰子の運命はある程度決まっていたと言えるかもしれません。また、彰子が生まれた頃は、道隆の家系である中関白家の全盛期でしたが、彼の病没と、息子の伊周(これちか)や隆家の不祥事が重なり、一気に没落してしまいます。
これをチャンスと見た道長は、まだ幼い彰子を強引に一条天皇の中宮につけたのです。先述の通り、一条天皇にはすでに道隆の娘・定子という中宮がおり、二人は大変仲の良い夫婦として知られていました。
本来であれば、同時に二人の正妻が選ばれることはありえませんが、これには弟の道長を支援していた一条天皇の母・詮子(せんし)も関わっていたと言われています。こうして、長保2年(1000)、彰子は一条天皇の中宮として、入内することとなったのです。
【父・道長のもと、一族繁栄に大きく貢献する。次ページに続きます】