はじめに-藤原道隆とはどんな人物だったのか?
藤原道隆(ふじわらのみちたか)は、平安時代中期の公卿です。後に、藤原氏全盛期を築き上げる道長の兄でもあります。貪欲なまでに、政界の頂点に君臨することにこだわった公卿・兼家(かねいえ)を父に持つ道隆。
天皇の外祖父として、政界を牛耳っていた兼家の七光りによって、異例の出世を遂げることとなったのです。父親に勝るとも劣らない野心家というイメージがありますが、実際の藤原道隆はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、眉目秀麗で気品のある、兼家の嫡男(演:井浦新)として描かれます。
目次
はじめに―藤原道隆とはどんな人物だったのか?
藤原道隆が生きた時代
藤原道隆の足跡と主な出来事
まとめ
藤原道隆が生きた時代
藤原道隆は、天暦7年(953)に生まれます。道隆が生まれた頃、父・兼家は兄の兼通(かねみち)と対立を深めていました。二人は元々、仲の悪い兄弟として知られていましたが、弟の兼家の方が先に出世したことで、より一層険悪な関係になっていたのです。
その後、兼通が病没すると、兼家は娘・詮子(せんし)の子を即位させ、天皇の外祖父として権勢を振るいます。政界の頂点に君臨する兼家のもとに生まれた道隆は、その恩恵を受け続けることとなりました。
藤原道隆の足跡と主な出来事
藤原道隆は、天暦7年(953)に生まれ、長徳元年(995)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
兼家の嫡男として生まれる
藤原道隆は、天暦7年(953)、藤原兼家と時姫(ときひめ)の嫡男として生まれます。強力なライバルである兄・兼通と勢力争いを続けていた兼家にとって、自身の跡継ぎとなる息子の誕生は、願ってもいない好機だったと言えるでしょう。
また、道隆は非常に上品で、顔立ちも整っていたとされ、兼家は彼を大層可愛がったと言われています。寛和2年(986)、一条天皇を擁立し、外祖父として権勢を振るい始めた兼家。嫡男・道隆を出世させるべく、権中納言(定員外の中納言)を十日ほど経験しただけで、道隆を権大納言(定員外の大納言)にさせたのです。
その後、病に伏した兼家は関白職を道隆に譲り、出家することに。強い権力を有する父・兼家のもとに生まれた道隆は、最終的に氏長者(うじのちょうじゃ、一族の中の最高権力者)になり、異例の昇進を遂げることとなったのでした。
【中関白家の最盛期を築く。次ページに続きます】