はじめに-高階貴子とはどんな人物だったのか?
高階貴子(たかしなのたかこ、もしくは、たかしなのきし)は、平安時代中期の歌人です。父の跡を継いで、関白となった藤原道隆(みちたか)の妻で、中宮定子(ていし)や伊周(これちか)、隆家(たかいえ)の母でもあります。漢学の教養が深かったとされる貴子。
円融(えんゆう)天皇に出仕していた際には、その学才が評価され、内侍(ないし、天皇に近侍した女官の総称)へと昇格を果たしました。その後、関白である道隆と結婚し、子どもを授かったことで、さらに出世を重ねることとなります。
漢学はもちろん、小倉百人一首にも歌が選ばれるなど、和歌にも精通していた貴子。聡明で、教養のある才媛というイメージがありますが、実際の高階貴子はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、子どもの養育に力を入れた、道隆の知的な嫡妻(演:板谷由夏)として描かれます。
目次
はじめに―高階貴子とはどんな人物だったのか?
高階貴子が生きた時代
高階貴子の足跡と主な出来事
まとめ
高階貴子が生きた時代
高階貴子は、生年不詳です。彼女が仕えた円融天皇は、安和2年(969)に即位しているため、それ以前に生まれていたことが分かります。当時は、天皇家と深い関係にあった藤原氏が台頭していました。しかし、貴子の父は学識があり、彼女も父の影響を受けて勉学に励むこととなります。
そして、その学才が評価された貴子は、藤原氏が牛耳る貴族社会の中で、一定の地位を保ち続けたのです。
高階貴子の足跡と主な出来事
高階貴子は、円融天皇即位以前に生まれ、長徳2年(996)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
円融天皇に出仕する
高階貴子は、官人・高階成忠(なりただ)の子として生まれます。成忠は、若くして文章生(もんじょうしょう、大学寮で紀伝道を専攻した学生)に選ばれた秀才で、学者として高く評価された人物です。学識のある父の影響を受けた貴子は、幼少の頃から勉学に励むようになったと言われています。
特に、貴子は漢学の素養を持ち合わせていたとされます。当時、漢学は男性主流の学問であり、女性が学ぶのは稀でした。そのため、漢学に精通していた貴子は、その学才を評価され、一目置かれることとなったのです。
その後、円融天皇の女房(朝廷に仕える女官)となった貴子。ここでも学才を評価された貴子は、内侍として天皇に近侍することとなりました。当時の貴族社会では、貴子のような、高い教養を兼ね備えた人物が重宝されていたことが分かります。
【藤原道隆と結婚する。次ページに続きます】