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観光名所として欠かせない“城”。国内旅行をする際は各地の城をめぐるのが楽しみという方もいらっしゃるでしょう。

しかし、そもそも城は戦のために作られた軍事施設です。そのため時代によって立地も変わり、権威や財力の象徴という側面も加わると、城のつくりも変化します。

そこで今回より、軍事施設としての城の楽しみ方にスポットを当て、その変遷やしくみ、戦い方などをご紹介します。

連載の第1回目は、長篠の戦いと鉄砲にまつわる歴史の真相をお話ししていこうと思います。この戦いは合戦史のみならず築城史にも大きな影響を与えたものです。

■信長だけが鉄砲を大量導入できた2つの理由

信長は長篠の戦いで3,000挺もの鉄砲を導入し、勝利を収めました。以前から他の戦国大名も鉄砲の威力は認めていましたが、何せ高額な費用がかかるので大量導入など夢のまた夢だったのです。

ではなぜ信長はそんな高額な鉄砲を用意することができたのでしょうか。

それには大きな理由が2つあります。

ひとつめは豊富な資金源。織田家はもともと流通の一大根拠地である津島(愛知県津島市)を掌握していたので、経済力に恵まれていました。

ふたつめは鉄砲の製作の鍵となる直轄地を掌握したこと。信長は近江に進出し、国友(現在の滋賀県長浜市国友町)を鉄砲の一大産地としたほか、大坂の堺を掌握して弾丸や火薬を入手するルートを確立しました。

このような方法で、信長は鉄砲を好条件で大量に買い付けることができたというわけです。

信長は鉄砲を大量導入するにあたり、鉄砲隊の育成にも力を入れていました。あぶれ者を雇い入れ、鉄砲の使い方を教えて「鉄砲足軽」を養成したのです。

これは馬の乗り方を教えるよりもはるかに有効。すでに兵農分離を推し進めていた信長にとってはたやすいことだったのです。

長篠の戦いでは長篠城を1万5千もの武田軍に包囲されましたが、信長・家康連合軍は鉄砲を使い、わずか500の兵で応戦しました。

■実は馬防柵は馬を防ぐためのものではない!?

最後に、長篠の戦いに関するうんちくをひとつ。

戦国最強と怖れられていた武田氏の騎馬軍団に対抗するために信長は馬防柵を用いましたが、実は最近では武田軍の馬での突撃はなかったという説が有力です。

再現された馬防柵は柵の手前に空掘があり、後方に土塁(土でできた堤防状の壁)が見られることから、柵を利用して鉄砲や弓矢で攻撃するための装置だったと考えられるようになっています。

こういったうんちくを少し知っているだけでも城めぐりがぐっと楽しくなるはずです。次回以降、城のつくりや攻め方など、教科書にはあまり出てこない、城にまつわる様々なトピックをお届けします。

詳しくはぜひ、『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』をご覧ください。

 

取材・文/平野鞠
監修/萩原さちこ

萩原さちこ(はぎわら・さちこ)
1976年、東京都生まれ。青山学院大学卒。小学2年生で城に魅せられる。 大学卒業後、出版社や制作会社などを経て現在はフリーの城郭ライター・編集者。 執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座、ガイドのほか、「城フェス」実行委員長もこなす。 おもな著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、 『お城へ行こう! 』(岩波ジュニア新書)、『今日から歩ける 超入門 山城へGO! 』(共著/学研パブリッシング)など。 公益財団法人日本城郭協会学術委員会学術委員。

【参考図書】
『図説・戦う城の科学 古代山城から近世城郭まで軍事要塞たる城の構造と攻防のすべて』
(萩原さちこ・著、本体1,100円+税、SBクリエイティブ)

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