2005年にクールビズが導入されて以来、夏は“スーツにノーネクタイ”の装いが一般化してきましたが、そんな姿のビジネスマンを見るにつけ、紳士服専門の仕立て屋としては寂しい思いにかられます。それは本来、スーツスタイルはネクタイを締めてこそ、その装いが完成するからです。
今回は、このごろこの世から排除すべき窮屈なアイテムに成り下がってしまった感のある「ネクタイ」について考えてみたいと思います。
■明治時代、ネクタイは「襟紐(えりひも)」と呼ばれていた
現在私たちが着ている背広の直接の原型は、19世紀の中頃に登場した「ラウンジスーツ」だといわれています。しかし、その着装法の起源はもっと古く、1666年10月7日にイギリス国王チャールズ2世が発した「衣服改革宣言」に由来しているというのが専門家たちの一致した見解です。
この「衣服改革宣言」によれば、シャツ、ベスト、ジャケット、ズボンそしてネクタイがセットになって、男性の服装が完成することになっています。現代の男性の三つ揃えの着装法は、すでに17世紀中ごろには出来上がっていたのです。
では、ネクタイの起源はどのようなものだったのでしょうか。
背広が日本に到来したころ、ネクタイは襟紐(えりひも)と呼ばれていたようです。明治4(1871)年に開店した洋品店(当時はそのようなお店を唐物屋〈とうぶつや〉と言ったそうです)柳屋のチラシ広告には、ジャケットやズボン、シャツなどのイラストがたくさん描かれおり、ズボンの絵には「股引 トラーゼルス」、シャツの絵には「白襦袢 シャツ」と書かれていました。
それらと並んで、細いネクタイの絵には「襟紐 ネキタイ」、太いネクタイの絵には「襟紐 クラヴット」と書かれています(参考資料:『日本洋服史 一世紀の歩みと未来展望』洋服業界記者クラブ「日本洋服史刊行委員会」、1971年刊)。なお、柳屋の開店時に作られたこのチラシ広告が洋服店の広告第1号とされているそうです。
■「ネクタイ」の意外すぎる語源
ネクタイは英語でNECKTIE、フランス語でCRAVATE(クラヴァット)、イタリア語でCRAVATTA(クラヴァッタ)と呼ばれています。
その語源は諸説ありますが、フランスのルイ14世がクロアチア兵の首に巻かれていたスカーフを見て、部下に「あれは何か?」と尋ねたところ、その部下が質問の意図を勘違いし、クロアチア兵を意味する「クラヴァットであります」と答えたところに端を発するというのが一般的なようです。
当時兵士の首に巻かれていたスカーフは、遠征する兵士が無事に帰還することを願って、妻や恋人から贈られたものだといわれています。兵装から始まった首に布を巻くスタイルは、20世紀初頭までは男性の装いとして一般的だったようです。
19世紀後半にはイギリスでネッククロスの結び目だけが残ったボウタイ(蝶ネクタイ)の原型が誕生。また同じころに「フォア イン ハンド」と呼ばれる、現在のものとほぼ同じ形のネクタイが生まれました。フォア イン ハンドとは4頭立ての馬車のことで、その御者が首に巻いた細長い布が現在のネクタイの始まりではないかといわれています。ネクタイの最も基本的な結び方であるプレーンノットのことをフォア イン ハンドというのは、このことに由来しています。
19世紀後半~20世紀初頭はまだスカーフとネクタイの区別が判然とせず、ウイングカラーのシャツには幅広のスカーフが使われ、糊で固められたハイカラーのシャツには、結び目が小さく収まる幅の狭いネクタイが着用されていたようです。フォア イン ハンド型のネクタイが一般的になるのは第一次世界大戦後のことでした。
■ネクタイは自らのアイデンティティーの象徴
ネクタイは、ブレザーに着けられるエンブレムや真鍮のボタンと同様、自らのアイデンティティーの象徴としても使われてきました。自分が所属する連隊の縞柄で作られた「レジメンタルストライプタイ」や、家紋や校章が入った「クレストタイ」などはその代表格と言えるでしょう。
余談ですが、日本でも1960年代のアイビースタイル全盛期に、アメリカの連隊を識別する縞柄を模倣したレジメンタルストライプのネクタイが大流行しました。そんなレジメンタルストライプのタイを締めてアメリカに行った日本人が、「お前はどこの連隊所属だ。その縞は見たことがない」と言われて困った、という話を聞かされたことがあります。
クレストタイも同様に出身校の校章が刺繍されていたのが始まりですから、「どこの学校の校章だ」と聞かれるかもしれません(笑い)。
なお、ネクタイの縞柄にイギリス式とアメリカ式があるのはご存じでしょうか。一般的に(例外もありますが)、縞が右上から左下に流れているのがイギリス式、逆に左上から右下に向かっているのがアメリカ式と言われています。
■ジャケット&パンツの装いにはビジネススーツのネクタイは似合わない
このように男性の洋装には不可欠だったネクタイが、絶滅の危機に瀕しています。装いのカジュアル化が進み、ノーネクタイの人が増えた今だからこそ、普段のセットアップスタイルにネクタイをうまく取り入れることでひと味違ったお洒落を楽しんでいただきたいと思います。
セットアップスタイルにネクタイを加える場合、やはりスーツ用のネクタイをそのまま流用すればいい、というほど簡単ではありません。
例えば、スーツにコーディネイトする濃紺や黒の小紋柄のプリントタイは、最もオーソドックスでしかもドレッシー、どのようなオケイジョンに締めても失敗しない万能タイと言われていますが、セットアップスタイルでは逆にNGです。
では、セットアップスタイルにはどのようなネクタイを締めればいいのでしょうか。
■季節に合わせてネクタイの素材を選ぶ
春夏ならば麻やコットン素材のタイがおすすめです。映画『007』の初代ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)はスーツに締めていましたが、ニットタイも涼しげでよいでしょう。ただ、寒いこの時期には、ウールやカシミア素材を使用した温かい感じのタイがぴったりです。
シルクであっても、プリントではなく織り方で柄を表現したジャカードや、紬のようなロウシルクであれば、色柄しだいで年間を通して締められます。
いずれのシーズン用もセットアップスタイルということを考えれば、あまり細かい柄ではなく、やや大き目のペイズリーや水玉模様、ちょっと太めの縞柄などがよいでしょう。
また当コラムの最初の写真のように、ソリッドカラー(無地)のネクタイは、どのようなジャケットにもコーディネイトが可能です。春夏には紺やブルーといった寒色系を、秋冬には黄色や茶の暖色系やワインカラーがおすすめです。
■ネクタイの締め方、基本のき
皆さんはすでご存じだとは思いますが、ネクタイの締め方について、あらためて留意点をまとめておきます。
まず大切なことはノット(結び目)がシャツの襟腰が見えないように一番上まできちんと上がっていなくてはなりません。この時シャツの第一ボタンを掛けていなければならないのは申すまでもありません。第一ボタンを掛けると窮屈なのは、ネクタイのせいではなくて、シャツの首回りのサイズが間違っているからです。かといって首回りが大きすぎるとネクタイがきちんと締められません。シャツの首回りは、実寸+1~1.5cmが適当だと思います。
ネクタイの結び目が緩いとだらしなく見えますので、やはりきつめにしっかり締めるべきでしょう。左右対称の結び目がお好みであれば、ウィンザーノットかセミウィンザーノットで締めるのがおすすめです。ただし、ネクタイの厚みによってはノットが大きくなりすぎるので、要注意です。
プレーンノット(フォア イン ハンド)やダブルノットの場合、左右非対称になるので自然なカジュアル感を醸し出すことができます。ただし、この場合もタイの素材によってノットの大きさが変化しますので、使い分けが必要です。
そして、ノットのポイントとなるディンプルについて。
ディンプル(dimple)とは、えくぼ、くぼみという意味ですが、その名の通り、タイの結び目にできるくぼみのことです。好きずきもあろうかと思いますが、ワンランク上のお洒落のために、強くおすすめいたします。ディンプルはちょっとした練習で簡単に作れるようになります。慣れてくるとディンプルの形も工夫して個性あるものが作れるようになりますので、ぜひ楽しんでいただきたいと思います。
■ボウタイ(蝶ネクタイ)に復活の兆し
最後にもうひとつ。最近復活の兆しのあるボウタイ(蝶ネクタイ)もおすすめしたいアイテムです。
そもそもボウタイは、フォアインハンドが登場する前にすでにネックウェアとして存在したものです。スーツスタイル、セットアップスタイル関係なしに、もっと一般的になってほしいと思っています。思い切ってセットアップスタイルの時に締めていただければ、一味違ったお洒落が味わえるはずです。
しかし、結び目が出来上がっていて、フックで止めるようになっているタイプはおやめください。幼稚園児の制服ではないのですから、蝶ネクタイはぜひご自分で結んでいただきたいと思います。わずかな練習ですぐに結べるようになるものです。
ボウタイにもドレッシーな感じのスーツ用とカジュアルな感じのものがあるのは、フォアインハンドタイの場合と同じです。ウール素材のボウタイやジャカードのボウタイはセットアップスタイルに、シルクプリントのボウタイはスーツに向いていると言えましょう。
また、セットアップスタイルの時に、細長いスカーフを蝶結びにして使ってみるのもお洒落上級者に試していただきたい装いです。
以上、今回は「ネクタイ」についてあれこれお伝えしてみましたが、いかがでしたか? ぜひ参考にして、ネクタイのお洒落を楽しんでみて下さい!
文/高橋 純(髙橋洋服店4代目店主)
1949年、東京・銀座生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本洋服専門学校を経て、1976年、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションのビスポーク・テーラリングコースを日本人として初めて卒業する。『髙橋洋服店』は明治20年代に創業した、銀座で最も古い注文紳士服店。