⼤河ドラマや時代劇を観ていると、現代ではあまり使われない⾔葉が多く出てきます。一定の理解でも番組を楽しむことはできますが、セリフの中に出てくる歴史⽤語を理解していたら、より楽しく鑑賞できることと思います。
そこで、【戦国ことば解説】では、戦国時代に使われていた⾔葉を解説いたします。⾔葉を紐解けば、戦国時代の場⾯描写がより具体的に思い浮かべていただけることと思います。より楽しくご覧いただくための⼀助としていただけたら幸いです。
さて、この記事では、戦国時代における指揮官の種類についてご紹介します。一軍の最高責任者である大将(たいしょう)、作戦の立案や助言を行った軍師(ぐんし)、足軽を率いた足軽大将(あしがるたいしょう)など、役割や規模に応じて同じ指揮官でも区別されていたのです。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』で徳川家康の家臣である本多忠勝や榊原康政は侍大将(さむらいたいしょう)を勤めていますし、かつて家康を従えていた今川義元には側近に僧侶の軍師がいました。
戦国時代の役職
戦国時代にも現代における組織のように、さまざまな役職が存在しました。ただ、指揮系統は今の軍隊などに比べると、曖昧だったと言われています。総大将の命令通りに部隊が動くとは限りませんでした。そのため、現場の指揮官による機転を利かした判断が、合戦の勝敗に大きな影響を与えることもあったのです。
また、指揮官にはランクがあり、それが出世の基準にもなっています。戦国大名家では、足軽大将から侍大将へと昇進する出世コースがありました。上位の役職から順に紹介していきます。
大将(たいしょう)
全軍の最高実力者のこと。合戦時は、全軍の指揮をとりました。大将は戦況に応じて全軍の判断を下す立場にあり、勝敗の鍵を握っていたのです。織田信長や徳川家康が、大将に当たります。
陣代(じんだい)
室町時代以降、主君の代わりとして大将の役を命じられた者のこと。主君が幼少であったり、体調不良であったりした場合などに陣代が軍を指揮しました。一般的には総大将と同じ権限を与えられ、重要な役割であったことが伺えます。
元亀元年(1570)の姉川の戦いでは、朝倉家当主であった朝倉義景(あさくら・よしかげ)が出陣しなかったため、朝倉景健(かげたけ)が陣代として朝倉軍の指揮をとっています。
軍師(ぐんし)
大将のそばで作戦計画の立案や助言を行ないました。戦国時代には「軍師」と呼ばれる役職は存在せず、諸葛孔明のような役割を果たした人物を後の時代に軍師と呼ぶことがあります。
豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛(たけなか・はんべえ)や黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)が軍師として有名ですが、本当に軍師という職務を担当していたのかどうかは不明です。
戦国時代、最も軍師らしい活躍をした人物として、駿河の今川義元に仕えた太原崇孚(たいげん・すうふ)が挙げられます。崇孚は臨済宗の僧侶であり、義元のブレーンとして三河攻略や駿甲相三国同盟など外交・軍事・内政・宗教など多方面にわたって活躍しました。
軍配師(ぐんばいし)
戦国大名に仕えた占い師の一種で、出陣の吉凶・戦闘開始の日時・築城のタイミングなどを占いました。戦国大名には、陰陽道や風水に通じた人物を部下に持つ者もいたのです。
例えば、豊後の大友宗麟(おおとも・そうりん)には角隈石宗(つのくま・せきそう)という軍配師がいました。宗麟は石宗の判断を無視して、天正6年(1578)の耳川の戦いで島津氏に敗れてしまいます。
侍大将(さむらいたいしょう)
数百から千名単位の部隊を統率した指揮官のこと。同義語に「部将(ぶしょう)」があります。常設の職あるいは武将の家臣団中での地位・格式を示すものでした。
合戦では、侍大将が戦況を判断して合理的な行動をとることを期待され、勝敗の分かれ目にもなっていました。当然ながら、優秀な侍大将が多ければ多いほど、勝利の確率も上がっていったのです。
有名な侍大将には、黒田氏の後藤又兵衛(ごとう・またべえ)や福島氏の可児才蔵(かに・さいぞう)がいて、その武功で大名レベルの禄高を与えられています。家康の家臣では、本多忠勝や榊原康政が侍大将を経験しました。
足軽大将(あしがるたいしょう)
足軽で編成される部隊を率いる指揮官のこと。侍大将の下位に位置します。足軽頭(あしがるがしら)とも呼ばれます。足軽が正規兵として組織化された、戦国時代の後半に登場しました。
足軽の部隊は、鉄砲・弓・槍など武器によって編成されることがよくありました。戦場では、自身の勇猛さよりも舞台全体の力を発揮することを求められ、リーダーシップが必要な役職であったと言えるでしょう。なお、配下の足軽は自身の家臣には当たりません。
まとめ
戦国時代には侍大将や軍師など、さまざまな指揮官がいました。現代とは違い、指揮系統はしっかりとしたものではありません。しかし、それゆえにそれぞれの指揮官の裁量権が大きく、同時にまたさまざまな活躍を見せることができたと言えるでしょう。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/三鷹れい(京都メディアライン)
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協力/静岡県観光協会
引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)