文/池上信次
「ポップス発祥のジャズ・スタンダード」の話題を続けます。前回(https://serai.jp/hobby/1070575)までにスティーヴィー・ワンダーらシンガー・ソングライターの楽曲を紹介しましたが、今回は、(自分のために曲を書いて歌う)シンガー・ソングライターではない、(他人のために曲を書く)作曲家の作品について。
シンガー・ソングライターやロック・グループがチャートを席巻する前、1950年代終わりくらいから60年代のアメリカのポップス黄金時代には多くのポップスの作詞・作曲家(またはチーム)が活躍しました。そこからジャズ・スタンダードとなった曲はたくさんありますが、その作家の筆頭としては、まずバート・バカラックの名を挙げることができるでしょう。ポップスの中ではダントツの存在です(厳密にいえば、バカラックはピアノを演奏し、歌も歌うシンガー・ソングライターでもありますが、作曲家としての活動に比べればごく一部といえます)。
バート・バカラックは1928年にミズーリ州カンザスシティで生まれ、ニューヨークで育ちました。マレーネ・デートリッヒの音楽監督を経て、1960年代初頭から作曲家としての活動を始めました。ポップスをはじめ、映画音楽、ミュージカルなど幅広い分野を手がけ、オフィシャル・サイト(名称は、自作ヒット曲タイトルをもじった「A House Is Not A Homepage」)の情報によれば、1996年までにNo.1ヒットが6曲、トップ10が28曲、トップ40ヒットが66曲もある大人気作曲家です。90歳を超えた現在も現役で活動中です。
今回はバート・バカラック作曲楽曲の、カヴァー・ヴァージョン数のベスト10を作ってみました。これは楽曲が発表されてから現在までにレコード商品として発表されたカヴァー・ヴァージョン数を、ジャンルに関係なくカウントしたものです(参考資料はカヴァー楽曲のデータベース・サイト「SecondHandSong」https://secondhandsongs.com/)。
(楽曲名邦題(オリジナル・タイトル)/オリジナル・アーティスト/発表年[カヴァー・ヴァージョンの概数]の順)
1)恋の面影(The Look Of Love)/映画『カジノロワイヤル』(1967年)[500]
2)遥かなる影(They Long To Be Close To You)/リチャード・チェンバレン(1963年)[400]
3)アルフィー(Alfie)/シラ・ブラック(1966年)[350]
4)雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin’ On My Head)/B. J. トーマス(1969年)[350]
5)ディス・ガイ(This Guy’s In Love With You)/ダニー・ウィリアムス(1968)[330]
6)世界は愛を求めてる(What The World Needs Now Is Love)/ジャッキー・デシャノン(1965)[320]
7)小さな願い(I Say A Little Prayer)/ディオンヌ・ワーウィック(1967年)[260]
8)ウォーク・オン・バイ(Walk On By)/ディオンヌ・ワーウィック(1964年)[250]
9)恋よ、さようなら(I’ll Never Fall In Love Again)/ミュージカル『プロミセス・プロミセス』(1968年)[230]
10)ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム(A House Is Not A Home)/ブルック・ベントン(1964年)[190]
(作詞はすべてハル・デヴィッド)
現在では邦題より原題のほうが一般的になっている曲名もありますが、それはさておき、さすがに名曲・ヒット曲ぞろい。全部メロディ歌えちゃいます。でも、オリジナル(ヒット)・ヴァージョンはほとんど知らず、どれもジャズマンによるカヴァー・ヴァージョンで覚えたものなのでした(「遥かなる影」はカーペンターズで知りましたが、オリジナルではないのですね。最大のヒット・ヴァージョンではありますが)。それはワタクシがジャズ・ファンだからなのですが、まあ、これだけのヴァージョンがあるわけですから、おそらくポップス・ファンも似たような傾向にあるのではないかと思います。「オリジナル・ヴァージョンやヒット・ヴァージョンから離れたところで、楽曲が広く知られている、広く演奏されている」というのは、まさにスタンダード化の定義そのものです。
バート・バカラックの楽曲の特徴を極端にいえば、「風変わりなコード進行やリズム構成に乗った(しかしそれを感じさせない)聴きやすい美しいメロディ」という感じでしょう。「料理」前提のジャズにおいては、それこそ演奏しがいのある、ジャズマン好みの楽曲ではありませんか。『バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ』(奥田祐士訳/シンコーミュージック・エンタテイメント)によれば、十代のバカラックのヒーローはディジー・ガレスピーで、ジャズ・クラブで観たカウント・ベイシー・オーケストラがそれまでの音楽観を一変させたとあります。また、バカラックは当時のラジオ局主催のジャズ・ピアノ・コンクールで、「ローラ」と「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を弾いて第2位に入賞しています。若きバカラックはジャズ・ピアニストだったのです。彼の楽曲にジャズの匂いがあるのは、その経験があるから。ちなみにそのコンクールの賞品は、アルバート・アモンズかジョー・ブシュキンの15回のピアノ・レッスンで、バカラックはブシュキンを選んだというところにもすでに指向が表れています。
というわけで、ポップス・ヒットでもバカラックの楽曲がジャズマンの嗅覚を刺激するのは当然で、ジャズ演奏となじむのもまた当然といえましょう。ただ、ベスト10リストの全部をジャズマンが取り上げているかというと、そうではないのもありますね。「雨にぬれても」「ウォーク・オン・バイ」はジャズでは(比較的)多くはなく、ベスト10には入りませんでしたが、「ワイヴズ・アンド・ラヴァーズ」はそこそこ多い気がします。そのあたりに、ジャズマンの好み(=ジャズにしたら面白いか)の境い目があるような気がします。
「名曲」はカヴァーするミュージシャンがどれだけ多いかで、その継承の度合いが決まります。カヴァーを演奏の中心とするジャズマンは、ジャンルを超えた「名曲の継承者」なのですね。
次回は、バカラックの各楽曲のジャズ・ヴァージョンを紹介します。
『ポップス発祥のジャズ・スタンダード「曲」』の記事リンク集
ビリー・ジョエル「素顔のままで」のジャズ演奏BEST20【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道150】 https://serai.jp/hobby/1066801
ジャズ・ミュージシャンたちが注目したスティングの「フラジャイル」【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道151】 https://serai.jp/hobby/1067936
スティングが作った最高のジャズ・バンド【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道152】 https://serai.jp/hobby/1068871
元ザ・ポリスのギタリストがジャズをやっている!?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道153】 https://serai.jp/hobby/1069733
ロックからジャズを掘り起こす【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道154】 https://serai.jp/hobby/1070575
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。