かつて歴史ファンを虜にし、全盛期には10万部を超える発行部数を誇った『歴史読本』(2015年休刊)元編集者で、歴史書籍編集プロダクション「三猿舎」代表を務める安田清人氏が、明智光秀が初めて大河ドラマの主人公となる『麒麟がくる』について語る。
初めて見た「動く明智光秀」は『黄金の日日』
大河ドラマの見どころ、醍醐味としては、何といっても戦国合戦のスペクタクル。男たちが戦場で華々しく白刃をふるい、戦場を離れても権謀術数をめぐらして頭脳戦を繰り広げる。戦いに身を捧げるのは、勇猛果敢な武闘派の猛将だったり、諸葛孔明もかくあらんという頭脳明晰な知将だったり。戦国武将と戦国合戦が大河ドラマの「華」であることは間違いない。
『麒麟がくる』の主人公は明智光秀。あの日本史上の人気ナンバーワンキャラである織田信長の家臣にして、その信長を京都・本能寺で亡き者にした謀反人。裏切り者であるが、天才信長を打ち取ったのだから、ただの「犯罪者」であるわけがない。光秀は何を目指していたのか、なぜ本能寺の変を起こしたのか。日本史上最大の謎にこれまで何人もの研究者、作家が挑んできた。
そのあたりについては、おいおい触れていきたいと思うが、「本能寺の変」を描いた大河ドラマ作品に登場した光秀役は16作品・16人に及ぶ(『麒麟がくる』含む)。
1968年生まれの筆者の場合、大河ドラマをリアルタイムで見たのは1978年の『黄金の日日』あたりから。若干記憶があいまいなのだが、何せ小学生のころなので、どうかお許しを。
『黄金の日日』は、戦国・織豊期に活躍した堺の商人、呂宋助左衛門を主人公とする国際色豊かな物語で、信長や秀吉もストーリーの節目に登場して重要な役割を果たしていた。もちろん本能寺の変も描かれ、光秀も登場する。
となると、筆者が生まれて初めて映像作品で「動く光秀」を見たのは、『黄金の日日』ということになる……のだが、残念なことに内藤武敏さんが演じた光秀の記憶はほとんどない。主人公である呂宋助左衛門の物語の本流としてみると、あくまでも光秀のエピソードは傍流だったからだろうか。
名脇役として知られる内藤さんは、大河ドラマに15作も出演している。筆者の世代だと。『おんな太閤記』(1981年)で茶の湯の大成者、千宗室(利休)を、そして『徳川家康』(1983年)では徳川家康の謀臣、本多正信を演じたことが強く印象に残っている。どちらも「誠実で温厚で思慮深い大人」を絵にかいたような人物像だった。
改めて『黄金の日日』を見直してみると、内藤さん演じる光秀は、やっぱり「誠実で温厚で思慮深い大人」だった。その「思慮深い大人」が謀反を起こすまでに追い込まれるところに戦国時代の狂気が顔をのぞかせるのだが、それも含めて、内藤さんの光秀はいまの筆者から見ると実に魅力的だ。小学生には理解できなかったのも、当然といえば当然か。
明智光秀が登場するNHK大河ドラマで、ある世代以上の視聴者にとって最も印象的だったのは、おそらく『国盗り物語』(1973年)ではないだろうか。
光秀を演じたのは、近藤正臣(当時31歳)。もちろん、ドラマの主役は平幹二郎演じる斎藤道三と、高橋英樹演じる織田信長で、その二人の鮮烈な印象が、物語全体の記憶として刻まれている。
物語の前半は、一介の油売りから身を起こし、美濃一国の大名にまで上り詰める道三の波乱の生涯を描き、後半は、その「弟子」とでもいうべき娘婿の信長が、天下統一の目前までたどり着きながら、道三のもう一人の「弟子」である明智光秀の謀反によって本能寺で斃れるまでを描いている。
原作となった司馬遼太郎の『国盗り物語』は、司馬作品の代表作に挙げる人も少なくない人気作だ。下剋上の英雄と、その弟子たちの物語という基本的な物語の枠組みは、司馬が作り上げたもので、大河『国盗り物語』は、戦国時代を描くそのほかの司馬作品の要素をも取り込みながらも、原作の世界観をかなり忠実に再現した作品でもあった。
梟雄・斎藤道三、英雄・織田信長。この二人に挟まれた光秀は、どう描かれたか。原作では道三の遺志を継ぐ後継者を自負する光秀が、もう一人の「弟子」である信長との葛藤を抱えながらも、その天才に惹かれ、やがて恐れてゆく様子を描いていた。近藤正臣の光秀は、信長の「恐怖政治」に恐れおののき、苦悩の末に激しい憎悪をたぎらせ、本能寺の変へと突き進んでゆく姿が、より強調されていたように思う。
英雄である信長を殺害するという「凶行」に及んだ光秀の心情に、視聴者が感情移入しやすくする演出だったのだろう。結果、脳裏に浮かぶ「近藤・光秀」は、恐怖と怒りに打ち震えながら、狂気をはらんだ表情で、信長を「あの男」とののしる。
それは、会社や上司の理不尽な命令に、耐えに耐えた男が、ついに堪忍袋の緒を切って辞表を叩きつける、いかにも「昭和」な姿と重なってくる。実際に辞表を叩きつけた経験のある人もない人も、にっくき上司を一刀両断に叩き斬る——は大げさにしても、殴り倒す自分の姿を夢想して「うっとり」した経験が一度や二度はあるだろう(あるよね?)。
そんな「平凡」なサラリーマンにとって、光秀の凶行は、溜飲を下げる快挙でもあり、辞表を出す勇気もない自分を慰めてくれる「おとぎ話」でもあったのだと思う。
苦悩の末に謀反に及ぶ「悩める光秀像」という一つの類型は、この『国盗り物語』において確立したのだ。
●安田清人
1968年福島県生まれ。元『歴史読本』(新人物往来社時代)編集者。同社を退社後に
「三猿舎」を創業。あらゆるジャンルの歴史書籍、歴史雑誌の編集を手がける。著書に『時代劇の「嘘」と「演出」』 (洋泉社)。
●画/和田聡美