取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
■3年前から痛風予防の献立です
今年4月から、『NHK俳句』の選者を務めている今井聖さん。
俳句と出会ったのは50年以上も前のこと。中学2年の少年は初めて俳句というものを作って、学習雑誌に投稿する。身近に俳句を詠む人がいたわけではない。先生は、学校で学んだ芭蕉や蕪村や一茶だ。その俳句が第一席に入選。
〈青空にひばりがひとつ伯耆富士〉
「鳥取の片田舎の14歳は、この入選で有頂天になり、賞品の万年筆を狙う投稿マニアになりました」
自分を天才だと思った少年は、俳句創作に突き進む。ところが5年ほど経った頃、山口誓子の〈悲しさの極みに誰か枯木折る〉や加藤楸邨の〈寒卵どの曲線もかへりくる〉などの俳句に出会う。
「衝撃でした。今までの花鳥諷詠だけの俳句と違い、小説や絵画や音楽と平等な表現形式として、俳句が私の前に立ち昇ったのです」
自己主張の源泉として句作に励みながら浪人生活を終え、明治学院大学経済学部に入学。同時に俳句結社「寒雷」入会、人間探究派といわれた加藤楸邨に師事する。
その後、同大学文学部英文科に学士入学。卒業後は横浜高校で教鞭を執る傍ら、俳人、脚本家としても活躍してきた。
■鰹節、煮干しは御法度
高校教諭、俳人、脚本家と三足の草鞋を履き、多忙を極める時期もあったが病気知らず。ところが3年前、足の親指の付け根辺りに激痛が走った。痛風だった。思い当たるふしはある。
「ともかくビールが好き。酒肴も肉類やあん肝、白子といった内臓類が大好物。今は、外ではビールに代えてホッピー(焼酎をビール味の炭酸飲料で割ったもの)に、野菜を多く摂る努力もしています」
鰹節や煮干しにも痛風の原因となるプリン体が多く含まれているので、今井家の出汁は昆布のみ。
「昆布だけだとやはり物足りないので、昼食に付く汁物などはあらかじめ具をごま油で炒めています。それと1年前から味噌は手作りしているので、けんちん汁も味噌味にすることが多いですね」
と、台所をあずかる夫人が痛風予防の創意工夫を語る。
朝食に登場するスムージーは、痛風と診断された3年前から新たに加わった一品である。
4年前に高校教諭を退職し、今は俳句に専念できる毎日だ。けれど、多忙さに変わりはない。信濃毎日新聞の俳句欄や東京新聞かながわ俳壇の選者に加え、4月からは『NHK俳句』も始まった。毎月、選句のために幾千、幾万もの投稿句を読まねばならない。
平成8年には俳誌『街』を創刊主宰。全国に支部があり、300~400人の連衆がいる。この句会だけで月に7回、さらにカルチャーセンターの講師、俳人協会理事という仕事もある。書きためた原案、原作があるので、脚本家としての夢も捨てたわけではない。
精力的に活動する毎日を支えるのが運動だ。日課の3㎞のジョギングとスポーツジムで体を動かすことが健康法だという。
俳句も文学である。他人と峻別する「わたくし」を詠みたい。
「山口誓子や加藤楸邨の俳句に出会って以来、私自身が生きてきたその時その瞬間の感動や思いを俳句にしてきたつもりです。自分が歩んできた人生を詠まずして何が俳句か、という思いです」
〈深夜ふと膨らむ捕虫網の白〉
写生俳句の革新を目指す。
※この記事は『サライ』本誌2017年6月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです(取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆)