「人間は誰でも猛獣使いである」(中島敦)【漱石と明治人のことば225】

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今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」
--中島敦

中島敦の小説『山月記』の中に綴られた一節。物語の主人公・李徴の台詞である。李徴は、つづけてこう語る。

「これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了(しま)ったのだ」

かつて官途につきながら詩作をなそうとしていた李徴は、発狂して出奔し、虎に姿を変えてしまっている。数少ない友人のひとりであったかつての同輩が、近くを通りかかったとき、叢(くさむら)に身を隠しながら事の次第を語るのである。

確かになァ、と思う。

人は皆、自分自身の奥底に渦巻き沸騰する感情を、なんとかコントロールして生きているものなのかもしれない。

『山月記』には創作の元となった原話がある。中国の説話集『唐人説薈』に収められた李景亮の『人虎伝』。両者の筋立てはほぼ同じながら、異なる点も多い。

原話では、主人公は恋の恨みから放火殺人を犯し、虎となって婦人を食らい、「ことに甘美なるを覚えた」と述べるなど、残虐性も強く漂う。『山月記』では、主題を理想と現実に引き裂かれた詩人の芸術的苦悩に置き換え、人間根源のあり方を問う佳作に仕立てあげている。

だから、李徴の語る次のような台詞も、胸にしみるものがある。

「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を発しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもあるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに気が付いた」

自分に言い訳ばかりして努力を怠っていないかと、作者の中島敦が私たちに語りかけているようにも受け取れる。

中島敦は明治42年(1909)東京生まれ。教師だった父親の任地の関係で、中学時代は京城(現・ソウル)で過ごした。東京帝国大学国文科卒業後、横浜高等女学校の教師をしながら創作を試みるが、持病の喘息にひどく苦しめられて退職。文部官僚となっていた友人の計らいで、転地療養を兼ねて南洋パラオに赴任した。当時、日本の統治下にあった現地の日本語教育の現場を視察しながら、新しい教科書を作成する仕事に就いたのだ。

パラオに赴任する直前、中島は先輩の作家・深田久弥に、『山月記』を含む数篇の原稿を預けていた。それが中島の留守中に雑誌『文学界』に掲載され、好評を得た。一方、健康状態のすぐれない中島は、まもなくパラオから帰国。官職を退き、病躯を押して創作に打ち込んだ。だが、残された時間は1年足らず。数篇の佳作を書き上げたのみで、昭和17年(1942)、33歳で逝去した。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

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