文/山本益博

「江戸前のにぎりずし」という言葉が人口に膾炙されていて、「江戸前」という言葉は鮨から生まれたように思われていますが、どっこい、それは違うのですね。

「江戸前」は、じつは鰻から生まれた言葉なんです。今の東京湾に流れ込む川は100を超えるほどあり、その中で、現在の東京都にあたる地域の河川を上り下りする鰻を「江戸前」の鰻と呼びました。餌は川海老です。

老舗『野田岩』の鰻重(撮影:山本益博)

では、「江戸前」以外の鰻はなんと呼ばれたかというと、「旅鰻(りょまん)」旅の鰻と言って区別されました。一級格下に扱われてしまったのですね。

私の地元、下町浅草では、地方からやってきた人を「田舎者(いなかもん)」とは呼ばずに、「旅の御方」と言って、同じように土地っ子浅草っ子と差別に近い区別をしていました。

ところで、「江戸前」には、もう一つの意味合いが含まれていることをご存知でしょうか?

「自前」「お点前」「男前」という言葉があります。これらの「前」は「イン・フロント・オブ」の「前」ではありません。「流儀、スタイル」のことです。鮨で言えば、こはだという小ぶりのひかりものの魚を酢と塩で締めたり、まぐろの赤身を醤油に漬け込んでづけにしたりする職人仕事を「江戸の流儀」「江戸スタイル」というわけです。

「江戸前」の蒲焼は割いて、蒸して、たれをつけて焼き上げます。じっくりと蒸すことで、余分な脂を落として、しっとりとした味わいの蒲焼に仕上げます。江戸っ子は「脂っこい」「脂ぎった」蒲焼は敬遠します。関西では、割いて、たれをつけて焼くだけで、蒸しません。

文/山本益博
料理評論家・落語評論家。1948年、東京生まれ。大学の卒論「桂文楽の世界」がそのまま出版され、評論家としての仕事をスタート。TV「花王名人劇場」(関西テレビ系列)のプロデューサーを務めた後、料理中心の評論活動に入る。

イラスト/石野てん子

 

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