写真・文/山本益博
「江戸前」の握りの代名詞でもある「まぐろ」は冬が美味しいすし種であるところから、鮨の魚は冬が優勢と思われがちですが、すし種が豊富なのは、圧倒的に夏です。
例えば、「光り物」と呼ばれるあじ、いわしは夏場を代表するすし種です。白身ならかれい、すずき、赤身ならかつお。貝ならあわび、甲殻類ならえび、しゃこと言った具合です。
それから、忘れてならないのがあなご、梅雨明けから秋風が立ち昇るまでがとろけるほどに美味しいすし種です。
「あじ」ですが、今から50年ほど前は、生では握りませんでした。その後、交通網と冷蔵設備が発達したため、魚介の輸送が迅速となって、極めて鮮度のよい魚が、毎朝、築地に届くようになり、すし職人はそれを見極めて、生で握るようになりました。貝もそうですが、「あわび」だけは、「蒸しあわび」と称して、長時間加熱し柔らかくして、すし種にしました。
「あじ」は「こはだ」と同じく、酢と塩で酢締めにして握りました。貝も酢にさっとくぐらせてから握ったものです。「いか」も「煮いか」と言って、ゆでたものを握っていました。また「酢いか」と言って、いかを酢のなかにしばらく漬け込んで握るすし種もありました。
いまでは、ほとんど姿を消してしまいましたが、数年前、「すきやばし次郎」が酢締めの「あじ」を復活させました。その名を「あじす」。JR「大船」駅などで売っている「あじのすし」が、それですが、いま東京のすし屋で「あじす」を握るのは「次郎」1軒ではないでしょうか。
このところ、夏場に台風が数多くやってくるのを考え、万が一、鮮度の良い「あじ」が手に入らなかった時のためのすし種なのだそうです。1週間ほど寝かせた、一種の「保存食」です。この「あじす」をいただくと、下町っ子の私は、とても懐かしい気分になります。