しかし、これに異議を唱える人もいる。もちろん人それぞれ好きなものが異なるのだから、異議があって当然。好みを主張しあえるところもまた、蕎麦の面白さなのだ。
もり蕎麦一辺倒の風潮に、異議を唱える最も有名な人物、それは豊臣秀吉であると、僕は思っている。秀吉は蕎麦がきが大好物だった。秀吉はなぜ、蕎麦切りよりも、蕎麦がきを好んだのか。その理由については、諸説ある。
そのひとつは、秀吉は、農民から身を起こして天下人になった人物。だから農民のころに食べた蕎麦がきが好きだったのではないかという説。果たして、そうだろうか。天下を取り、美味しいものを何でも食べられる立場になったら、もっとほかに美味しいものをいろいろ食べてみるのではないだろうか。むしろ、農民のころに食べていたという理由だけなら、蕎麦がきを嫌いになってもおかしくない。
ふたつめは、秀吉は蕎麦切りを知らなかったのではないかという説。この時代、蕎麦を捏ね、細く切って味わう「蕎麦切り」という食べ方が、まだ広く普及していなかったのではないかという考え方だ。
しかし、「ソハキリ(蕎麦切り)」の文字が初めて記録にあらわれるのは、天正2年(1574)。信濃国、木曽の定勝寺において、仏殿を修理した際、ソハキリを振る舞ったとあるのが、蕎麦切りの初見だ。1574年の時点で、信濃国において、蕎麦切りは、すでにひとに振る舞う御馳走として知られていたのである。