取材・文・撮影/片山虎之介
江戸時代初期にその名が付いた「もり蕎麦」。蕎麦の食べ方として、これほどお馴染みのものもないが、蕎麦職人にとって、これほど難しい品書きもない。精魂を込めて供される一枚に、蕎麦職人の矜持が宿る。
東京・湯島の『池の端藪蕎麦』で修業を積み、上野の『蓮玉庵』5代目・澤島健太郎さんから江戸の蕎麦打ち技術を伝授された『藪蕎麦宮本』主人・宮本晨一郎さんは、「もり蕎麦」の魅力を次のように語る。
「もり蕎麦は、蕎麦屋の土台ともいうべきもの。その店自慢の蕎麦を味わい、蕎麦と合うように丹精込めて作り上げた蕎麦つゆとの絶妙な調和を味わうのが醍醐味です」
それでは、各地の「旨いもり蕎麦」が味わえる店から、その旨さの秘密を探ってみよう。
※この記事は『サライ』本誌2016年11月号の特集「蕎麦は“もり” に窮まる」より転載しました。肩書き等の情報は取材時のものです。(取材・文・撮影/片山虎之介)
■1軒目:『そば処 よこ亭』(長野県飯綱町)
――蕎麦の味は、実の選び方と保管で決まる。
『そば処 よこ亭』がある飯綱町は、長野県北部に位置し、江戸時代より極上の蕎麦が育つことで知られる地域だ。
主人の平塚慶吾さん(61歳)は、この地に70ヘクタールに及ぶ蕎麦畑を所有。店で供する蕎麦は、ほとんどがこの畑で育てられている。
「店は標高620mの高さにあります。ここからさらに上にある蕎麦畑は、朝に霧がかかります。山を背負っているので、夕方になれば日陰になりますし、水はけのよい土なので、雨が降っても水はたまりません。蕎麦畑として、理想的な条件を備えています」
平塚さんは、蕎麦畑の肥料に鶏糞や牛糞などの有機肥料を使い、無農薬で栽培している。
「味のよい蕎麦を作るには、何よりも材料が大事。良い材料を使い、その持ち味をきちんと出せれば、旨い蕎麦ができるはずです」
収穫した玄蕎麦(蕎麦の実)の保管も、蕎麦の味を決める重要な要素だ。蕎麦は高温と多湿に弱い。
管理を怠ると、せっかくの風味が失われてしまう。
蕎麦の収穫は、10月から始まる。11月初旬までに刈り終えると、実の水分が15%程度になるまで乾燥させてから倉庫で保管するが、冷涼な気候ゆえ、春までは冷蔵する必要がないという。
飯綱町は豪雪地帯に位置し、寒さは厳しい。一度の積雪量も多く、冬場は、日中でも最低気温が氷点下5度以下という日が珍しくないという。
「この寒さのお陰で、倉庫に保管した蕎麦は翌年の5月まで鮮度を保ちます。飯綱の気候で保管した蕎麦は、本当に旨いんです」と、平塚さんは目を細める。
雪が最も深くなる2月下旬に「雪入れ式」が行なわれる。5月下旬から9月下旬の夏場に使う量の蕎麦の実と雪を、雪むろ施設へ運び込むイベントだ。
冬期の積雪が1mを超える豪雪地帯ならではのアイディアである。 倉庫の半分に雪を積み、残りの半分に袋詰めの蕎麦を積み上げるが、その量は7トンに及ぶ。
「雪むろの中の温度は1~2度、湿度は80%で常に一定です。この寒さのお陰で玄蕎麦は休眠状態になり、新蕎麦の旨さを保つことができるのです」(平塚さん)
『そば処 よこ亭』では、いつ訪れても、極上の蕎麦を味わうことができる。
【そば処 よこ亭】
長野県上水内郡飯綱町大字柳里847-3
電話:026・253・8287
営業時間:11時~18時(4月~11月)、11時~17時(12月~3月)
定休日:水曜 70席
アクセス:しなの鉄道牟礼駅よりタクシーで約10分。上信越自動車道信濃町ICより車で約15分。
http://www.valley.ne.jp/~mureson/yoko/yoko.html
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