取材・文/ふじのあやこ

一緒にいるときはその存在が当たり前で、家族がいることのありがたみを感じることは少ない。子の独立、死別、両親の離婚など、別々に暮らすようになってから、一緒に暮らせなくなってからわかる、親やきょうだいのこと。過去と今の関係性の変化を当事者に語ってもらう。
*
株式会社Wandering Seagullは、「職場における退職意思表明の経験」に関する調査(実施日:2025年5月9日~5月12日、有効回答数:20〜35歳の社会人1010人、インターネット調査)を行った。調査にて、『「仕事を辞めること」にどのようなイメージを抱いていますか?』の問いに対し、「心や体を守るために必要なこと(32.0%)」、「自分らしく生きるための選択(30.2%)」、「新しい挑戦への第一歩(26.9%)」が上位となった。次いで、『「仕事を辞めること」に対するイメージに、最も影響を与えたものはどれですか?』の問いに対しては、「家族・親(27.0%)」が最も多く、「上司・先輩(18.9%)」、「過去の自分の経験(18.1%)」が続いた。
今回お話を伺った祥太郎さん(仮名・46歳)は、きょうだいのことをずっと疎ましく思っていたという。
優遇されるのはいつも弟だった
祥太郎さんは、両親と3歳下に弟のいる4人家族。祥太郎さんは小さい頃から「お兄ちゃんだから」という言葉で弟と差別されていたという。
「“お兄ちゃんだから”と言われ、色んなことを我慢させられました。1つしかないおもちゃで先に遊ぶのはいつも弟で、それの取り合いでケンカをすると、両親は当然のように弟の味方でした。そんな差別は大人になってからも続き、私はお金がかからないようにと国公立大学への進学を両親から強く言われたのに、弟は親から何にも言われずに三流私大に進学しました。それに、弟はさぼり癖から1年留年したのにそれについても叱られていなかった。それに、車の免許もそう。私は社会人になってから自腹だったのに、弟は大学在学中に親のお金で取っていました。……他にも、小さいことを含めれば数えきれないほどあります」
就職しても家を出ることを祥太郎さんは許されなかった。「お兄ちゃんだから」の次に使われた言葉は「長男だから」だった。
「早く家を出たかったのですが、それも許されませんでした。それでも社会人になって、自分のお金だけで食べていけるようになったのだから親の了承なしに家を出ればいいんでしょうけど、支配されていたんだと思います。家を出てはいけないと思い込んでいました」
留年の1年を含み、祥太郎さんが社会人になった4年後に社会に出た弟は、3か月で会社を辞め、ただ家にいるだけになった。そのことも祥太郎さんが家を出られない理由だったという。
「弟は、辛そうに『会社を辞めたい』と親に訴えたようで、両親は一切辞めることを止めなかった。私だったら、そんな簡単に辞めさせてくれなかったと思います。その部分も引っかかりましたが、それよりも私はそれまで月で4万円を家に入れていたのが5万円になったことに納得がいきませんでした。お金が1万円増えたことよりも、弟が仕事を辞めたからと家に入れたのは0円になったこともそうです。この違いが許せませんでした」
【親の都合に振り回され、関わりを断った。次ページに続きます】
