大晦日に、なぜ蕎麦を食べるのか。年越し蕎麦の由来は誰も知らない。しかし年越しにはなぜか、蕎麦を食べることになっている。
では一夜明けて正月はどうか。正月は餅というのが一般的だが、実は元旦に蕎麦を打ち、これをいただいて新年を祝うという地方が、少なからずあるのだ。
たとえば福島県会津地方には、「もちそば(餅蕎麦)のごっつぉ(御馳走)」という言葉がある。
この地方では、心のこもった持て成しを受けたとき、客は「いやあ、きょうは餅蕎麦のごっつぉでした」と礼を言う。これが最大級の感謝の気持ちを表す言葉なのだ。
餅も御馳走、蕎麦も御馳走。餅と蕎麦を同時に供するのが、この上ない持て成しとなる。だから会津では、供された料理に餅も蕎麦も出ていなくても、贅沢な料理をいただいたときは、「餅蕎麦のごっつぉでした」と言って感謝するのだ。
そもそも蕎麦は、米が穫れない寒冷地や、不作のときなどに、米の代用として栽培される救荒作物としての役割を担わされてきた。山間の蕎麦処といわれる地方のお年寄りに話を聞くと、まるで口裏を合わせたように同じことを語ってくれる。
曰く、昔は米が穫れないので、蕎麦が主食だった。それも蕎麦切りではなく「蕎麦がき」にして食べた。朝も、昼も、夜も蕎麦がき。それがいやで仕方なかった。製粉も良くなかったためジャリジャリしていて、噛んでいるうちに水分を吸って口の中で増えてくる。子供はそれが飲み込めず、もういらないと言っては親にしかられ、泣きながら食べたものだったという。
そんな蕎麦が、なぜ御馳走なのだろうか。
つまり餅も蕎麦も、作るのに手間がかかる。そこが御馳走なのだ。
蕎麦は同じ原料を使っても、調理法によって御馳走にもなり、粗食にもなる。東北地方では、蕎麦のことを「はっと」と呼ぶ地方があるが、これは「御法度」の意味だ。江戸時代、農民たちに、「蕎麦切りは贅沢なので食べてはならぬ」と禁止令が出たことがあった。そのことから蕎麦のことを「はっと」と呼ぶようになったのだいう。
日常食べている蕎麦がきは、おかまいなしだが、延して細く切って蕎麦切りにすると、とたんに贅沢品になる。
会津の正月は、ある意味で「幕府公認の贅沢品」ともいえる、餅蕎麦のごっつぉを堪能できる、うれしい行事なのだ。