文/上野誠(奈良大学教授)
奈良に住んで25年になる私でも、ふと、四季の風に誘われて歩きたくなる道がある。奈良ホテルから、春日野を通って春日大社へと至る道だ。
この道を歩いてゆくと、時間の感覚がなくなることがある。その感覚とは、古代も現代もない「今」という感覚なのである。千三百年、そんな時間、人類の歴史から見たら一瞬だ、と思ってしまう「今」があるのだ。
春日野から見る御蓋山(みかさやま)は、美しい。御蓋山の後ろには、春日山が控えている。御蓋山が鳥の頭だとすれば、春日山はまるで、巨大な鳥の翼のようだ。これを万葉びとたちは「大鳥の羽交(はがい)の山」と呼んだ。大鳥が翼を上下して飛び立つ姿だ。
この地は、歴代の遣唐使たちが、奈良の神々に対して別れを告げる場所であった。彼らは、この春日野で安全祈願をして、唐に向かったのである。
千三百年前に、この地で旅の安全を祈り、旅立った十九歳の青年がいた。彼はおそらく、世界最大の難関試験といわれる科挙に合格して、時の玄宗皇帝の側近となった。王維も李白も、彼の文才を認め、今日でいえば国務大臣の位にまで登りつめた。
その青年こそ、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)。そして仲麻呂が、はるか唐から思いをはせたのが、春日にある御蓋山であった。
日本に帰ることなく死んだ仲麻呂の魂は、この大鳥が運んで、この地に戻してくれていると……、私は信じたい。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 御蓋の山に いでし月かも(『古今和歌集』巻第九の四〇六)
そんな仲麻呂を描いたオペラが、まもなく奈良で上演される。
日本、韓国、中国が、芸術文化の交流を、都市交流のかたちでやろうというプログラム「東アジア文化都市」がいま奈良で行われているが、この期間中の10月1日と2日に、私が作った新作オペラ『遣唐使物語 名も無き民へのオマージュ』が上演されることになった。
このオペラは、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、吉備真備(きびのまきび)、葛井真成(ふじいのまなり)という三人の遣唐使の、ちょっとせつない友情物語だ。
三人は、苦難を乗り越えて、ようやく長安にやって来る。若いころから、学問に打ち込んだ三人。会えば、学問の話ばかり。ところが、真成の様子がどうもおかしい。勉強するうちに、すぐに寝込んでしまうのだ。
そこに、玄宗皇帝の侍医がやって来る。侍医は、玄宗の持っているすべての薬を使っても、真成が余命幾ばくもないことを告げる。
ところが、真成は寝たふりをしていたのだった。病と不幸は、俺がすべて引き受けてやる。仲麻呂よ、真備よ、学問に励め、との捨てゼリフ。
さて、死期を悟った葛井真成こと中国名、井真成(せいしんせい)が望んだことは何か――。あとは、舞台でご覧いただきたい。
私の仕事は、古典研究、それも『万葉集』の研究だ。そんな私が、オペラの制作に携わって、早くも十年が過ぎようとしている。
オペラの制作をしていて、ふと思ったことがある。オペラは出演者のみならず、裏方、観客を含めると、数千人単位の人びとが関わることになる。ところが、演劇というものは、終わったあとに何も残らない。今日、私たちは諸資料から、東大寺の大仏開眼会の盛儀を知ることができるが……、今、それを眼前で見ることはできない。
残るとすれば、それは人の心のなかだけに残るものなのだ。また、だから尊いのだ。
※オペラ『遣唐使物語 名も無き民へのオマージュ』は、2016年10月1日(土)と2日(日)に、なら100年会館にて行なわれます。(問い合わせ先:0742-34-0111)
文/上野誠
1960年、福岡県生まれ。奈良大学教授。国際日本文化研究センター客員教授。気鋭の万葉学者として活動は多岐にわたる。