参議等(さんぎひとし)の本名は源等(みなもとのひとし)。嵯峨天皇の曾孫という名門の出身です。若い頃は近江や三河、丹波、美濃、備前といった地方官を歴任し、地道に実績を積み重ね、なんと68歳という高齢で参議の地位に就いたことから「参議等」と呼ばれるようになりました。
歌人としての詳細な活動記録や歌合の記録がなく、和歌が収められている勅撰和歌集も『後撰和歌集』のみで、その数は四首にとどまります。
しかし、百人一首の選者・藤原定家が著した『近代秀歌』と『詠歌大概』に歌が収録されたことにより名が知られるようになりました。
定家は「和歌に師匠なし」と述べ、古歌からの自学を重視しており、優れた例として参議等の歌を二首挙げたことから、彼を高く評価していたと分かります。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
目次
参議等の百人一首「浅茅生の~」の全文と現代語訳
参議等が詠んだ有名な和歌は?
参議等、ゆかりの地
最後に
参議等の百人一首「浅茅生の~」の全文と現代語訳
浅茅生(あさぢふ)の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
【現代語訳】
浅茅の生えている小野の篠原のしのではないが、しのび続けて我慢はしてきたが、どうしてあの人のことがこうも恋しいのか。
この歌の最大の魅力は、「しのぶれど」 という言葉に込められた巧みな表現技法にあります。
まず、歌の三句目「浅茅生の小野の篠原」までは、「しのぶ」を導き出すための序詞(じょことば)になっています。「篠原(しのはら)」の「しの」が、恋心を「忍ぶ」の「しの」を連想させる仕掛けです。
さらに、この「しのぶ」には、二つの意味が掛けられています。恋心を人目につかないよう、じっと堪え忍ぶ、という意味と、小野の篠原という場所に思いを馳せ、懐かしむという意味。
つまり、「小野の篠原の『しの』ではないけれど、心に決めたあの人への想いをずっと忍んできた。それなのに、もう堪えきれない。どうしてこんなに恋しいのか!」という、激しく切ない心の叫びが聞こえてくるようです。
自分の意志ではどうにもならない恋心の高まりを、「あまりてなどか(どうしてこんなに溢れてしまうのか)」という強い問いかけで表現した、非常に情熱的な歌なのです。

(提供:嵯峨嵐山文華館)
参議等が詠んだ有名な和歌は?
前述したように参議等の歌は『後撰和歌集』に四首残っているだけです。その中から、1首ご紹介します。

東路の 佐野の舟橋 かけてのみ 思ひ渡るを 知る人のなき
【現代語訳】
東国の佐野にある舟を並べた上を渡る舟橋という危ない橋をかけるように、思いをかけてずっと恋し続けていますのに、それをあの人は知ってはくれないのです。
恋する思いを舟橋を架け渡すように絶え間なく持ち続けているが、その気持ちに気づいてくれる人がいないという寂しさや切なさを表しています。この歌は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の舟橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)の装飾にも採用され、作品は国宝にも認定されています。
また、前述した、藤原定家が例として挙げたうちの一首がこの歌です。
参議等、ゆかりの地
参議等ゆかりの地を紹介します。
大覚寺
京都の嵯峨嵐山にある大覚寺は、参議等の曽祖父である嵯峨天皇の離宮として建立されたものです。いけばな発祥の花の寺として知られ、時代劇・各種ドラマのロケ地としても有名です。
最後に
参議等の「浅茅生の~」は恋心を隠そうとしても隠しきれない人間の普遍的な想いが、美しい自然の風景と巧みな言葉の技法によって見事に表現されています。高齢で参議に昇進した彼の人生も、年齢を重ねても挑戦し続けること、地道な努力を積み重ねることの大切さ、そして何より、人生のどの段階においても、美しいものへの感性や恋する心を失わずにいることの素晴らしさを教えてくれているようです。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『全文全訳古語辞典』(小学館)
『原色小倉百人一首』(文英堂)
アイキャッチ画像/『百人一首かるた』(提供:嵯峨嵐山文華館)
●執筆/武田さゆり

国家資格キャリアコンサルタント。中学高校国語科教諭、学校図書館司書教諭。現役教員の傍ら、子どもたちが自分らしく生きるためのキャリア教育推進活動を行う。趣味はテニスと読書。
●構成/京都メディアライン・https://kyotomedialine.com
●協力/嵯峨嵐山文華館

百人一首が生まれた小倉山を背にし、古来景勝地であった嵯峨嵐山に立地するミュージアム。百人一首の歴史を学べる常設展と、年に4回、日本画を中心にした企画展を開催しています。120畳の広々とした畳ギャラリーから眺める、大堰川に臨む景色はまさに日本画の世界のようです。
HP:https://www.samac.jp
