はじめに-松平信明とはどのような人物だったのか
「寛政の遺老」として知られる幕臣・松平信明(まつだいら・のぶあきら)は、江戸後期の動乱期にあって、老中首座として幕政の安定に尽力した人物です。
名門・松平伊豆守家の血を引く彼は、松平定信とともに寛政の改革を推し進め、その後も長きにわたって幕府の中枢を担いました。田沼政治から松平定信の時代へ、そしてその後の老中政治へと移りゆく中で、信明が果たした役割をたどっていきましょう。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、反田沼派で、質素倹約をかかげる松平定信を支える人物(演:福山翔大)として描かれます。

目次
はじめに-松平信明とはどのような人物だったのか
松平信明が生きた時代
松平信明の生涯と主な出来事
まとめ
松平信明が生きた時代
18世紀後半から19世紀初頭の江戸幕府は、大きな転換期を迎えていました。天明の大飢饉や自然災害による社会不安、農村の疲弊、都市の混乱など、幕府を取り巻く環境は決して安定していたとはいえません。
田沼意次による積極的な経済政策と金権政治が批判を集め、やがて松平定信による「寛政の改革」が始まります。
このような混迷の中、信明は若くして藩主の座に就き、やがて老中首座にまで上り詰めます。彼の政治活動は、まさに江戸幕府が苦境に立たされる中での「政の舵取り」そのものでした。
松平信明の生涯と主な出来事
松平信明は宝暦13年(1763)に生まれ、文化14年(1817)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
若くして藩主に就任
信明は宝暦13年(1763)、名門・松平伊豆守家の家系に生まれました。明和7年(1770)、父・信礼(のぶうや)の没後、わずか7歳で跡を継ぎ、三河国吉田7万石(現在の愛知県豊橋市)の藩主となります。
その後、雁間詰となり、将軍徳川家治にも拝謁。安永6年(1777)には従五位下・伊豆守に叙任されました。
【幕政への登用と定信の信任。次ページに続きます】
