はじめに-二代目富本豊前太夫とはどのような人物だったのか
二代目富本豊前太夫(とみもと・ぶぜんだゆう)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した浄瑠璃(じょうるり)太夫であり、富本節の全盛時代を築いた立役者です。幼少期に父を亡くしながらも、芸の道に精進し、美声と巧みな節回しで人気を博しました。
彼の存在があったからこそ、富本節は一時、常磐津(ときわず)節をしのぐ勢いを誇るほどの隆盛を迎えたのです。その一方で、独特な風貌から「馬面豊前」と呼ばれたことでも知られています。
そんな二代目富本豊前太夫ですが、実際にはどのような人物だったのでしょう。史実をベースに紐解きます。
2025年NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』では、江戸中を魅了した美声を持つ人物、富本豊志太夫(演:寛一郎)として描かれます。
※「富本豊志太夫(午之助)」は、第12回より「富本豊前太夫」に名前が変わります。

目次
はじめに-二代目富本豊前太夫とはどのような人物だったのか
二代目富本豊前太夫が生きた時代
二代目富本豊前太夫の生涯と主な出来事
まとめ
二代目富本豊前太夫が生きた時代
二代目富本豊前太夫が活躍した18世紀後半は、江戸の庶民文化が最高潮に達した時期でした。町人文化が成熟し、洒落本や黄表紙、川柳など、「通(つう)」を理想とする洗練された文芸が次々に生まれました。
二代目富本豊前太夫の富本節が黄金期を築いたのも、この時代です。
二代目富本豊前太夫の生涯と主な出来事
二代目富本豊前太夫は宝暦4年(1754)に生まれ、文政5年(1822)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
幼少期と初舞台
宝暦4年(1754)、初代富本豊前太夫の子として江戸に生まれます。初名は富本午之助(とみもと・うまのすけ)です。しかし、午之助は幼少期に父を亡くします。
明和3年(1766)、13歳のときに中村座で「文月笹一夜 下の巻」に出演し、初舞台を踏みます。このとき、後見を務めたのは初代富本斎宮太夫(いつきだゆう)こと清水権次郎でした。
明和7年(1770)には二代目豊志太夫(とよしだゆう)と改名し、本格的に劇場での活動を始めます。
【二代目富本豊前太夫を襲名し、富本節の黄金期へ。次ページに続きます】
