文/池上信次
「バンド名(https://serai.jp/hobby/1174928)」の続きです。1960年代初頭、大人気だったグループ「ザ・スリー・サウンズ」。初めてこの名前を聞くとき、多くのジャズ・ファンは、これがピアノ・トリオとは想像できないのではないでしょうか。ピアノ・トリオに名前を付けるのは現在でも少ないですが、モダン・ジャズの時代において、ザ・スリー・サウンズはおそらく唯一の「名前のあるトリオ」だったと思われます。
ザ・スリー・サウンズは、もともとカルテット編成の「ザ・フォア・サウンズ」というバンドとして活動していましたが、そこからサックス奏者が抜けた際に、「4−1=3」ということで「ザ・スリー・サウンズ」と改名して活動を続けたという経緯があります。ザ・フォア・サウンズという名前に愛着があったのか、その名前で売れていたからなのか(大きな活動実績はないようですが)、そこでなぜ(ジャズ・ピアノ・トリオとしては一般的な呼称である、リーダー名を前に出した)「ジーン・ハリス・トリオ」にしなかったのか。その理由はわかりませんが、この選択は結果的に大きなプラスとなりました。
ザ・スリー・サウンズは、1959年にブルーノート・レコードからアルバム『イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ』をリリースしてデビューしました。当時、レコード会社各社はジュークボックスへの音源供給に力を入れていました。媒体はいわゆるシングル盤です。人気のあるミュージシャンは次々に新曲のシングル盤をリリースし、それはそのまま売り上げとなり、またアルバムのプロモーションにもなりました。ポップスはもちろん、ジャズでもジュークボックスは重要なマーケットなのでした。
そんな中で、ザ・スリー・サウンズは、その軽妙で明快なサウンドで大きな人気を得ました。実績を見ると、ザ・スリー・サウンズのシングル盤は、デビューからブルーノートを離れる62年(録音)の間に単独名義で14枚リリースされました。スタンリー・タレンタイン、ルー・ドナルドソンとの共同名義を入れると16枚で、ブルーノートではベスト8位のリー・モーガンに並びます。日本での知名度からすると、これはかなり意外な結果と思われるのではないでしょうか(ブルーノートのシングル盤については第90回(https://serai.jp/hobby/1016216)から詳しく紹介しています)。
おそらくジュークボックスで競合するポップス・グループの中でも、(ジーン・ハリス・トリオといういかにも「ジャズ」の名前よりも)ザ・スリー・サウンズという名前は違和感なく並んだのではないでしょうか。もちろん音楽の内容あってのことですが、シングル盤マーケットでは、このバンド名がセールスに大きく寄与したと思われます。
ちなみにブルーノートでは、シングル盤は重要な「商品」だったため、注目をひくためかシングル盤では実際に存在しないバンド名をつけていたものがあります。それは、「キャノンボール・アダレイズ・ザ・ファイヴ・スターズ」。ジャズ・ファンならその音楽はきっと一度は耳にしているはずです。ご存じない? シングル盤で出た曲は「枯葉」「サムシン・エルス」「ワン・フォー・ダディ・オー」。はい、これはマイルス・デイヴィス参加で知られる、あの有名アルバム『サムシン・エルス』からのシングル・カットなのです。アルバムではたんに「キャノンボール・アダレイ」名義ですが、即席のバンド名をつけてスペシャル感(?)を醸しだしています。また、名のあるミュージシャンは、サイドマンなのにリーダーにしてしまうものもありました。ソニー・クラークのアルバム『ソニーズ・クリブ』からのシングル・カット「スピーク・ロウ」は、「ジョン・コルトレーン、ソニー・クラーク」の名義になっています。
バンドの名前は、音楽とは直接関係なくとも、イメージやセールスでは大きな意味をもつものと言えるでしょう。
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バンドの「名は体を表す」(1) https://serai.jp/hobby/1174027
バンドの「名は体を表す」(2) https://serai.jp/hobby/1174928
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。