はじめに-比企家の女性たち

鎌倉幕府では、多くの御家人らの権力闘争が繰り広げられました。中でも比企家は「十三人の合議制」の一人である比企能員を中心に、幕府内での権力を強めていきました。その背景には政略結婚による将軍家との結びつきがあります。鎌倉時代、有力な一族の一つである比企家の女性たちは、どのような生涯を送ったのでしょうか。今回は、権力闘争に巻き込まれ、自らの生涯を一族の運命とともにした比企家の女性たちを紹介していきます。

目次
はじめに-比企家の女性たち
各人物の紹介
まとめ

各人物の紹介

ここからは、比企尼、道、せつ、比奈の4人の女性をそれぞれ取り上げ、紹介していきます。

比企尼

比企尼(ひきのあま)は、武蔵・比企郡の代官の妻であり、源頼朝の乳母を務めた人物です。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、頼朝が流罪となり伊豆へ流されると同じく都から坂東へ下り、以来、援助を続ける頼朝の大恩人(演:草笛光子)として描かれます。

比企尼の実名はわかっておらず、父母も不明なため、出自は不詳とされます。夫は京にて朝廷に仕えていた、比企掃部允(かもんのじょう)です。「平治の乱」後の永暦元年(1160)、源頼朝が伊豆に流されると、夫とともに京から領地の比企郡(=現在の埼玉県)に下りました。そして以後20年にわたって流人の頼朝に仕送りを続け、彼を援助したとされています。

男子に恵まれなかった比企尼は、甥の能員を養子に迎え、夫の没後、家督を継がせたのでした。能員は後に頼朝の嫡男・頼家の乳母父となって、権勢を握る存在となります。比企尼の長女は安達盛長の妻、次女は武蔵の豪族・河越重頼(しげより)の妻、3女は伊東祐清(すけきよ)の妻。娘3人のうち2人は源頼家の乳母に、さらに能員の娘・せつは頼家の妻となったことから、将軍家との血縁関係が強かったことがうかがえます。

さらに長女と次女の娘は、それぞれ頼朝の異母弟である源範頼と源義経に嫁ぎます。しかし、義経は兄である頼朝によって滅ぼされ、範頼もまた頼朝により謀反の疑いを掛けられたのでした。それを聞いた比企尼は頼朝に対面し、孫娘の婿である範頼の助命を嘆願したと伝えられています。その後の尼の動向や死没年は不明です。

道は「十三人の合議制」のひとりである御家人・比企能員の妻です。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、比企家の安泰を一番に考え、頼朝に甘い比企尼や流されがちな夫・能員に苦言を呈すしたたかな賢妻(演:堀内敬子)として描かれます。

道は、夫の出世を生きがいとした人物とされます。頼朝に長男・万寿(頼家)が誕生すると、道は乳母に就任し、能員は乳母夫となったのでした。乳母となった道は、将来将軍となる万寿の養育に腐心しました。

また、台頭著しい北条家にライバル心を燃やす一面も。頼朝の次男・千幡(せんまん、後の実朝)の乳母夫に任されたのは、頼朝の弟・阿野全成(ぜんじょう)と実衣(みい)夫妻でした。彼らに北条氏が結託する形で実朝を擁したため、道は北条家の対抗心をますます募らせました。比企家擁する頼家と北条家擁する実朝という後継者争いは、頼家が2代目将軍となる形で決着します。

さらに、頼朝との一層の絆を求める道は、能員の姪・比奈を頼朝の側女にしてもらうよう夫をけしかけます。頼朝の没後には、娘・せつと将軍・頼家との間に長男・一幡(いちまん)が誕生。それにより、比企家の権威は高まったのでした。しかし、頼家の重病によって比企家の運命は一変していったのです。

せつ(若狭局)、比奈(姫の前)の生涯とは? 次ページに続きます

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